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先日、高校時代の同級生の結婚式に行ってきました。僕が多いに感銘を受け、好意を寄せた女性でもあったので結婚式にご招待頂いたときは本当にうれしく思いました。彼女との間柄に関してはまた後日に譲るとして、式上ちょっとおセンチな気分になったのでここに書き記しておきたいと思います。
式も披露宴も一般的なものでしたが、新郎新婦とも内科のドクターである事から来場者も当然医療関係者ばかりでさながら田舎ヤクザの披露宴状態と化していました(笑) 披露宴はごくありふれた進行でしたがいろいろと工夫も凝らしてあり、食事も満足できる内容でした。流石にちょっと飲み過ぎたかなとも思いましたがお祝いの席だし、許していただく事にしました。思いを寄せる女性が結婚するというのはやはりちょっと悔しかったのでしょうか・・・。 話は前後しますが、挙式はこれまた通常のチャペル形式でした。バージンロードを歩いてくる新婦、それを迎える新郎。皆(と神様)の前で夫婦となる事を誓い退場して終了。そうそう、僕は初めてだったのですがこのチャペル形式では賛美歌斉唱はありませんでした。いつも入場時に渡されるカードに「慈~しみ深~き~聖~なるイエスは~♪」なんて書いてあるのが定番だと思っていたのでちょっと拍子抜けしました(^^;; この式中、「あ~なたは~神~を~信~じますか~?」みたいな牧師さんに朗読されたのが「コリント人への手紙」です。新約聖書だったかと思うのですが、この中の一節がどんな式でも必ず読み上げられるような気がします。以下のような文句ですね。 『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらず、誇らず、不作法をしない。自分の利益を求めず、いらだたず、恨みをいだかない。不義を喜ばずに真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。』 (Love is patient and kind; love is not jealous or boastful; it is not arrogant or rude. Love does not insist on its own way; it is not irritable or resentful; it does not rejoice at wrong, but rejoices in the right. Love bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.) 普段の式なら「ふ~ん」と思い過ごしてしまうところなのですが、昨日の式は流石にちょっと「ウルウル」きてしまいました。崇高な志を掲げる「愛」とは一体何なのか、ちょっと考え込んでしまいました。まぁ、宗教上の「愛」ですからその根源をなす中核は違うわけだし違って当然なのですが、こういった場で読み上げられる「愛」もまた我々のすぐそばにあるような気がしたのです。 恋多きどくちるは今日もまた恋煩いにかかってしまったようです・・・。草津の湯にでも行きますか(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003.11.25 12:08:40
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