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一面の真っ白な雪原の中、一人じっと春を待つ桜の木。浅田次郎さんの「壬生義士伝」で一躍全国の人に知られる存在になった、岩手は雫石の一本桜。当牧場の『ご近所の桜』です。 仕事の前に何気なく聞いていたラジオから、流れてきた「今日は何の日」。 今日、2月27日は『新撰組の日』。1863年2月27日、時の将軍徳川家茂の上洛に際しての警護を目的として募集した浪士200余名が、将軍の上洛に先駆けて西へ上った日なのだそうだ。後に「壬生の狼」と呼ばれ、京都の人たちを震え上がらせた「新撰組」の前身である。 私たちが知っている新撰組はそろいのブルーの羽織を着て、剣豪ぞろいの集団というイメージだが、当初集まった浪士たちはそれとは程遠いくらい困窮し、とにかく「生きていくため、食べるため」に必死の思いだったようだ。京都の人たちから「壬生浪」(みぶろう、みぼろ=ボロを着ているから)と揶揄されるほどの身なり。 「壬生義士伝」の主人公、南部藩出身の吉村貫一郎にしても、あまり裕福とはいえない藩の、これまた決して裕福とはいえないところの子供らに読み書きなど教える授業料と、内職のわずかな収入だけでは妻子を抱えてとても生活していけない。 そこで脱藩し、新撰組に入隊して自分のこづかいなどほとんど持たず、給金を故郷の妻子に送金し続ける。仕事を請け負うたび、いちいち給金を要求して「金に汚い」とか「守銭奴」とか悪く言われながらも金を稼いでは送金する。 そこには「大義名分」もなければ、「憂国の志」もない。あるのはただ「愛する家族のためにひたすら働く男の姿」のみ。時代も時勢も関係ない、不変の姿。 雪原の中の一本桜を見ながらふと考えた。「みぼろ」などといわれるほど困窮し、職を求めて彷徨う人々がいた。吉村貫一郎のように、地元では充分な収入が得られないからと家族と遠く離れて一人働く人がいた。 浪士隊が結成されてから150年近くたった今、その頃からいったい何が変わっているのだろう。多くの人が職を失い、住むところすら安定していないような状態。大都市には人が集中し、地方には暮らしていくのに充分な給料を得られるような、働く場所も不足している。 世の中が混沌としていたあの幕末の頃と、経済大国といわれる現在。命をかけて国を動かしていた人達がいなくなり、いろいろなものが作りだされ便利になったが、覆いかぶされたシートを一枚はぐと、みな同じようにもがきながら生きている。 春が来て一本桜の枝のひとつひとつが、木花咲耶姫の吐息をそっとふきかけられ、薄紅色の花に覆われるころには、世の中ももう少しいい方向にむいているだろうか。 ちなみに私は新撰組の中では、土方歳三さんが好きです。ミーハーと言われようと、面食いといわれようと、いいのです。最強のアウトロー軍団を束ねるため、ヒールに徹した鬼の副長。 かっこいー!男なら惚れますよ!(って、おいおい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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