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当牧場から家畜市場へ向かう途中にある公民館(他の地区)と桜です。 この公民館はその庭をぐるっと取り囲むように桜が植えられています。満開の頃になると地区の人たちが集まって、桜の木の下でお弁当を広げてお花見をしている光景を市場に行くときによく見かけます。 桜でもなんでも樹は植えてから何十年という時間を経てようやく、その樹の下でお花見できるほどの大木に成長します。だから幼木を植える時にうんと先の未来の風景を頭の中に描きながら配置を考え、大きく育った樹木を中心にその頃の人達がどんな風に集い、笑い、どんな時間を過ごすのかを考えなくてはなりません。 ここを通りかかるたび、この桜を植えようと考えて、植えて、手入れをしてきた人達に胸が熱くなります。そのくらいのスペースがあったら、畑にしたり、あるいは借家を建てて収入の足しにもできるくらいの広々とした庭。 今見ている風景のそのもっと先の、桜の下に集う笑顔まで見越して作られた景色なのです。 公民館の前の一角に植えられた見事な枝垂桜は、市場の帰りに遠くから見ると、まるでピンク色の滝が流れているかのようです。 風のある日はゆさゆさと揺れ、陽の光に花びら一枚、一枚が照らされてきらきらと光って見えます。 以前、テレビで「変人呼ばわり」されながら地道に桜を植えて、やがて見事な桜並木を創りあげた人のドラマを観ました。その人の頭の中にもきっと、50年後、100年後の風景がいつも見えていたのでしょうね。 そうかと思えば山道の空にひときわ近い背の高い木々の間に、ぽおっと1本だけまるで桜色のかんざしを挿したように咲いている山桜を見かけることもあります。ずうっと濃い緑が続いたところでいきなり目に飛び込んでくるピンク。 お前よくぞここに咲いていてくれた・・・と思わせるようなところに。 それもまた、その樹自体が何十年も先の、その道を通る人たちの驚きや喜んだ顔を想像しながら、その場所に生きることを決めたのかもしれないなあ。 自然にせよ、人の手が加えられたものにせよ、すべての美しい風景は『未来を見る目』が創り出した妄想の産物なのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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