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エドワード・ホフマン(岸見一郎訳)『アドラーの生涯』(金子書房, 2005)「私の名前を誰も思いださなくなる時がくるかもしれない。アドラー派が存在したことすら忘れられてしまうかもしれない。それでもかまわない」と。 「心理学の分野で働くすべての人が、私たちとともに学んだかのように、行動することになるだろうから」
<引用:言葉のむこう> http://kcanon.blog68.fc2.com/blog-entry-135.html どんぐり倶楽部はやがて消滅します そもそも、「どんぐり倶楽部」などという団体はありません。私も入会してメンバーになったわけではないのです。入会も退会も、会費も入会金もありません。
どんぐり倶楽部憲章は、
1.子供達の力を信じる 2.無理なく無駄なく効果的な学習指導をする 3.<考える力>を身につけさせる
2と3は、どんぐり理論を知れば分かるように、手荒に要約すれば、文字・数字・記号などの操作ではなく、イメージを大事にする学習法によって、考える力をつけることです。イメージを大事にした学習法を選んでいる人たちの、あるようで無いような、意識的・無意識的つながりがどんぐり倶楽部です。
ですから、糸山先生は断定的だ、けしからん、もう関わりたくないと思っていても、イメージを大事にした丁寧な学習指導をしていれば、「心ならずも」どんぐり倶楽部に入ってしまっています。それくらい、どんぐり倶楽部は、組織とは言えない、アバウトなものです。
でも、HPには、どんぐり倶楽部を「設立しました」と書いてあります。あえて、どんぐり倶楽部の組織的な機能を書くとすれば、途方に暮れた親の相談窓口の選択肢のひとつになっていることでしょう。相談窓口には色々ありますが、学習と子育てを分離しない、どんぐり倶楽部の理論の観点からのアドバイスを聞いてみたいと思った時に、メールで非常に気軽に相談できます。勉強のことも、子育てのことも。先生に相談するのは気おくれするなら、どんぐり倶楽部方式経験者の親のネット上の集まりがあるので、より気軽に話が聞いてもらえます。この集まりでさえ、入会したり退会したりする集団ではありません。
私の勝手な推測ですが、実は、このような曖昧模糊(あいまいもこ)とした、あるようで無いような存在の仕方は、当初から目指されていたのかもしれません。国の学習指導要領のような強制的な物ではなく、親・教師が自ら選んでやってみて、特定の年齢・学習分野だけではなく、子どもの何年にもわたる成長を見た結果、どんぐりを知ってよかったと思う人が自然に増える。(勿論、実証の結果、修正も加えながら)そういう人が、親・教師の先輩として、相談にのったり、助言したりする。その先輩・後輩の関係のあり方には、公園で、先輩ママが若いママの悩みを聞いて、赤ちゃんを寝かせるコツを伝えるような気軽な関わり合いも含む・・・。つまり、どんぐり倶楽部の理論を多かれ少なかれ取り入れているという点で、直接接触したことがなくても、つながりはある。でも、関わり方は自由(利用するだけの人もいれば、教育者として積極的に取り入れる人もいる)。そういう人たちをひっくるめて「どんぐり倶楽部」が存在しています。
そして、HPのどこだったか検索して見つけられないのですが、「どんぐり倶楽部はやがて消えます」といった趣旨の言葉がありました。
多くの教育関係者が、考えるとはイメージし、それを操作することであって、2+3=5 という数字と記号の並び方を覚えることではないと気付いたとき、メソッドに細かい違いはあれ、イメージを大事にした教育法が当たり前になり、とりたてて、これを「どんぐり方式」と言う必要さえなくなることを、期待を込めて予言した言葉だと思います。 -------<引用終わり>
*この点でも、同じことを言っていますねぇ。 ...「事実だからね」ってことでしょう。「いずれ、そうなる」という確信でもあります。
*家族カウンセリングで使う家族構成表などは、どんぐりの教育相談で使う「カルテ」ですね。面白いほど考え方や手法が似ています。まぁ、「事実だからね」...コナンじゃないけど...「真実はいつも1つ」という感じでしょうかね。
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最終更新日
2016年02月22日 18時28分50秒
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