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2019.12.22
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カテゴリ:ばぶさん童話

牛飼いシャペルの日曜日  (第5稿)曵田原 宏・作

 

 

  • 敬愛する宮沢賢治さんの童話「オツベルと象」の続編話を創作してみました。

 題して『牛飼いシャペルの日曜日  (第5稿)』

 

―― 1 ――

俺の名はシャペル。

ここじゃあみんなして俺を「牛飼いシャペル」だとか

「おしゃべりシャペル」だとかって、そう呼ぶよ。

俺の主人のケッペルなんか酷いもんだぜ。

『ウッシャァ』とか『シャペ』 だとか酷く切り詰めてそう呼ぶんだ。

俺にだって本当の名前位あるんだぜ、

本当の名前はな…えーとっと、でへぇ、ど忘れしちまった。

まだボケたかねえのに嫌だねぇ、待てよぉ 今思い出すぞ。出した出した。

ミヒャエル・シャペル・ガストナーってんだ。

俺を本当の名前で呼んでくれくれたのは、この広いインドの国で

後にも先にも先代の大旦那のオツベルさん位なもんだ。

ところがオツベル大旦那が俺の本当の名前を呼ぶときは、

大抵俺がでっかいしくじりをしたときに限ってのことだったがね。

「おい、ミヒャエル・シャペル・ガストナー!

今朝、言いつけておいた仕事はまだ片付かないのか!

いったい今何時だ?明日の朝までやるつもりか。

晩飯抜きでもいいのかぁ…おっと そうだった、そうだった。

お前確かダイエット中だったよな。

ついでに明日の朝飯もなしにしておくか?」 ってな具合だ。

とにかく酷いもんだった。 あー酷かった。

一度に二つも三つも用事を言いつけておいて、

なんかかんか言っちゃあ『飯抜きだぁ!』

んでもって朝から晩までこき使うんだ。

こちとら人間様だぞ、てやんでぃ。

まるっきり家畜同様の扱いじゃねえか。

いや、時には牛より酷い扱いだったね。

その大旦那のオツベルが5匹の象の下敷きになってオッ死ンじまったのが

指折り数えて…13年前。あれから13年 かぁ、早いもんだぜ。

あれれ? 今日はオツベルさんの祥月命日じゃねえか。

帰りにラッパ水仙でも持って行って墓参りしてやろう。

―― 2 ――

俺の仕事は牛飼いだ。

もうこの仕事に就いて47年だ。

何しろ9歳の時に先代のオツベル大旦那に拾われてドイツの

ハノーバーの港から、ここインドのハウラーの街へとやってきた。

世界に名だたるガンジス川のほとりまで小一時間ほどの処にある、

ポカロンジャロの牧場にたったの一人で連れて来られたんだ。

あの当時 まともに学校に行けてりゃ、

小学校の3年生だったんだがね、

移民列車の旅の途中で両親にはぐれちまって 何とストリート・チルドレンよ。

ていのいい人買いにゴミくずみてぇに拾われて、

あっという間に売り飛ばされたっ…てな訳よ。そのまた人買いの親分が

『どうです旦那、いいでものがありますよ。

なんてったってこの子は正直で素直。

誰よりも働きもんだ』 ってんでオツベルさんに売りつけた。

何しろ学校にも行かせてもらえず牧場の下働きをさせられたんだ。

 

それからあっという間の20年、人使いの荒いオツベルさんのもとで、

俺は黙々と働いたよ。20年間…文句ひとつ言わずにね。

そんな訳でだんだんと旦那の信頼を得て

29歳の春に 『牛飼い頭』 にしてもらった。

当時ポカロンジャロの牧場には下働きの牛飼いだけでも18人だ、

その中で『牛飼い頭』に大抜擢よ。一番年若かったこの俺がさ。

あの頃は絶好調だったねぇ。、来る日も来る日もノリノリで働いたね。

おんなじ牛飼いとはいってもよ、牛飼い頭だけには特別の仕事があったんだぜ。

毎週日曜日になると沢山の牛を連れてガンジス川の支流のダポン川の川岸で

水を飲ましたり汚れの酷い牛を洗ってやったりする特別の仕事さ。

何しろ俺は働き者だった。 手早くそいつを全て済ましてしまうのさ。

それからあとは帰り支度をしなくっちゃなんね夕暮れ前まで、

のんびり気ままに寛げる唯一の自由時間。

ああ、なんと美しい響き『自由時間』 しかも俺だけの自由時間なんだぜ。

誰からも怒鳴られも、急かされもしない完全無欠の『自由時間』

この俺が、丸ごとのこの俺が、俺の人生の主役として君臨できる

自由な時間なんだぜ。どうだい、あんた『自由時間』持っているかい?

--― 3 ―—

オツベルときたら大したもんだ…。

この話どこかで聴いたことがあるだろう。

実際、大したもんだったぜ、あの旦那って人はよ。肝が据わっていてね、

ああいう人のことを言うんだろうな『太っ腹のご仁』ってのはな。

それに比べりゃ一人息子のケッペルときたら大違いよ。

奴ぁ正真正銘のビビりだし、けちん坊だし、

第一考えていることが小さくっていけねえや。

経営のスリム化だとかでよ、

「いっそこの際、牧場を全部閉めて

ゴムの木のプランテーションだけにするかな」

なんて規模縮小化計画とかを考えているんだぜ。

とんでもねえこった。万一そんなことをされてみろ、

若くして牛飼い頭に抜擢されたこの俺の、

27年間とっぷり味わい続けてきた

黄金の『自由時間』が無くなっちまうじゃねぇか。

規模縮小だなんて考え方、俺は絶対反対だね。

おーい、牛ども。聴いていねぇのかこの俺の話をよ。

エッヘン、オツベルときたら大したもんだ。

稲こき器械の六台も据え付けて…。

こら、うし!ばか牛!

そこの右から三番目と四番目、

くちゃくちゃ くっちゃべってんじゃぁない!

ちゃんと人の話を聴け。

性のねえ奴らだ、だからお前たちは

いつまでたっても牛にしか生まれ変わってこられないんだっつーの。

 

はあ~ぁ・・・、まっいいか、今日は天気もいいし、気分もいいから、

昔、話しそびれたところをたぁっぷり聴かせてやろう。

あの有名な『オツベルと象』の物語をよ。

俺があの話をしたころの牛達はな、

お前たちよりもはるかにお利口さんでな、

耳を傍立てて俺の話を聴いていたもんだ。

それはつまり俺の語り口の名調子に聴き惚れていたってことなんだな。

んん?何だい?

『オツベルと象』の話ならよく知っていますぅ、

おじいさんから聴きました …だぁ?なになに?

ひとつ質問があるんです… ってか?ふう~ん。

お前賢そうな顔してんな。歳はいくつだ?

なに、いっ歳。そうか一歳か。

よし、お前中心に話してやっからよく聴けよ。

お前の質問ていうのはこうだろう。

「あの第1日曜と第2日曜の話の続きが何で第3第4と

2週間も飛びぬけて第5日曜になったのか…」ってんだろう。

え? 「何で判ったんですか」 ってか、

ハハハお前の顔にちゃんとそう書いてあら。

実はその理由はな・・・。

え?

お釈迦さんの誕生日の花祭りがあったから

その準備に追われていたんでしょう ってか、

ひえええお前なんで判ったんだ?

何?俺の顔にそうかいてある・・・ってか。

お前つくづく 頭のいい仔牛だなぁ。 名前何てんだ?

私の名前はミヒャエルって言います。

何、ミヒャエル? えっへっへっへぇ 賢そうな名前じゃないか。

     ―― 4 ――

オツベル旦那は子煩悩な人だったよ。

まあ、世に言う親ばかチャンリンを絵に描いたような人だったね。

過保護に育てられた一人息子のケッペルが19歳になったばかりの春だった。

祭りの晩に広場で見かけた村長の末娘に一目惚れよ。

『あの子をどうしてもお嫁さんに欲しい』といい出して聞かなかった。

それならばってんで、相手の親子の気持ちも確かめないうちに

さっそく新居をおっ建てちまおうって事になった。

全く頭のいいオツベル旦那のやることは手回しがいいや。

何でもな、新月の晩に伐った樹には精霊が宿るから

縁起がいいんだとかでよ。               

晦日から新月にかけての3日間というもの俺たち牧童は

森に樹を伐り出しに行かされたのよ。

稲扱き小屋の奥隣りに、突貫工事で土台をこさえ、

柱をおっ建てて屋根周りを仕上げると

たちまち東屋みたいなもんが出来上がった。

これで俺たちもほっと一息つけるかと糠喜びした昼下がりだった。

あの白象(はくぞう)がやってきたのよ。

つぶらな瞳の白い象の子供だったぜ。

オツベル旦那は度胸を据えてこう言った

「ずうっとこっちにいたらどうだい」

白象はけろりと「いてもいいよ」と二つ返事だ。

交渉成立。白象はもうオツベル旦那の財産だわな。

という訳で、息子のケッペルの新居は急遽「象小屋」へと設計変更よ。

おかげで俺達の3時のお茶は はしょられた。

まあ俺達にしてみりゃ

息子の新居だろうが象小屋だろうが同じこった。

さっさと済ませて晩飯かっくらってベッドに入りたかったぜ。

睡眠不足ももう限界だった。

それでも俺たちゃまだましだったのさ。

かわいそうだったのは鍛冶屋のハンスとガンスとドンスの三人兄弟さ。

あいつらその晩も徹夜だぜ。

何しろ緊急命令

『明日の昼までに100キロの鎖と400キロの分銅を作り上げろ』

一体何の為にそんな化け物みたいな鎖と分銅を作らされるのか

解ったもんじゃないが、

オツベル旦那の指図だもの誰も嫌だとは言えないのさ。

その晩オツベル旦那も自分の部屋で何やら作り物をおっぱじめたぜ。

『ブリキ板と貼り子紙と赤いペンキを今すぐもってこい』 だってよ。

一体何を作っていたのかは…

次の日の午後、象小屋で種明かしされたのさ。

全くオツベルときたら大したもんさ。

     ―― 5 ――

次の日の昼過ぎだった。

鍛冶屋のハンスとガンスとドンスは

100キロの鎖と400キロの分銅を作り上げ

青息吐息で目を白黒させながら

荷車を押してオツベル旦那の部屋の外に来た。

オツベルも徹夜で作った力作の

ブリキの時計と貼り子紙の靴を荷車に載せると象小屋に向かった。

オツベルは琥珀のパイプに新しい刻みタバコの葉を詰めて、

火をつけるとプカーッとうまそうに一服し、

「おい、おまえは時計はいらないか・・・」

と顔をしかめて白象にこう聞いた。

ブリキの時計と張り子の靴に

その飾りと称する鎖と分銅を

首尾よく取り付けたオツベルと鍛冶屋の三人兄弟は

遅い昼飯も食べずにそのまんま自分のベッドにもぐずり込んだ。

ふと見上げると天上より少し西に傾いたあたりの空には

新月から2日目の月がぼんやりととぼけた明りを眠そうに放っていた。

象小屋の中では白象が嬉しくてたまらないという風に

ぐるぐる歩き廻っていた。

 

そのまた次の日だ。

オツベルとしては珍しく朝寝坊して 眼が覚めたのは昼過ぎだった。

たったの一晩であの大きなブリキの時計とやくざな張り子の靴を

一組仕上げたのだものよっぽど疲れていたんだろう。

ところがさすがオツベルだ。

ベッドの中から『復活!』と気合もろとも跳ね起きた時には

もうすっかりいつものオツベル100%だった。

「すまないが税金も高いから、

今日はすこうし、川から水を汲んでくれ」

象は目を細くして喜んで、その昼過ぎに五十だけ、

川から水を汲んできて菜っ葉の畑に掛けた。

その象の働きぶりに

「こりゃ思った以上に稼げるぞ」とオツベルは満足そうにほくそ笑んだ。

 

三日月が昇ったその晩は藁を十把食べさせた。

その次の晩は八把の藁束を、そのまた次の晩は七把の藁束で、

六日七日八日の3晩はたった五把の藁束で、

上弦の月が昇った9日目の夜なんかは ただの四把だぜ。

いくらなんでも酷すぎら。

しっかり食わせなきゃ働く元気は出やしない。

仕方がだんだん酷くなったから、象がなかなか笑わなくなった。

時には赤い竜の目をして

じっとこんなにオツベルを見下ろすようになってきた。

それは理不尽に憤り、

恨み辛みや憎しみに燃え上がる炎のまなざしだった。

その赤い竜の眼の視線に耐えかねて

そそくさと背中を向けたとしても、

尚も突き刺して来るような冷たいまなざしだった。

オツベルだってそれを充分感じとっていたはずさ。

白象も時には人を恨む心や怒りの心がめらめらと

自分の中に燃え上がるってことを知ってしまった悲しみに、

打ちのめされていたに違げえね。

沢山の仲間が助けに来てくれてようやく囚われの身を解くことができた時

白象が淋しく笑ったのはそのせいだと俺は思うね。

 

おや、また川に入っちまった。

こら、自力であがいてでも出て来い。

生き延びろ






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最終更新日  2019.12.22 23:21:41
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