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テーマ:政治について(19785)
カテゴリ:ブログ
日、ある番組で萩生田 光一自由民主党幹事長代行(第5代)が、市町村合併に関することに触れていた。もっともらしいことで「地方切り」の始まりを感じた。ただ権力を持ちたいが為に合併を拒むのは勘弁してほしい。平成の大合併の時、私の友人は「僕は二町十村時代に戻したがいいとおもうけどね~」、僕は帰省する度に彼を訪れていた。「壱岐市役所には呆れたよ。もう付き合ってられない。終わってるよ」と言って再度、島を出ていった。12年前頃だと思う。今、彼の気持ちが痛切にわかる気がする。
移住と地域おこし協力隊 まさに移住に終始したような気がする。移住に始まって移住に終わった気がする。転入との違いは九州の宮崎市役所の◯口さんが丁寧に教えてくれた。うなずけた。 私がこの仕事を始めた頃、イベントがダブルブッキングしてしまい違う方へ行った。大分県竹田市と佐賀県武雄市のパネルディスカッション、まさに移住についてだった。 後日、大分県竹田市役所を訪れ話を聞いた。彼は3時間ほどみっちり教えてくれた。ここは移住したら起業するという条件もついてくる市が助成するわけではない。 裏は取りました。東京から引っ越していた。女性は本当に移住していた。そして、起業していた。竹田市役所の◯藤さんは仕事が終わるとプライベートで移住してきた人の家のペンキ塗りの手伝いなどをしていた。庁舎内で彼が吐いた言葉が頭から離れない。「僕は、3年間身分保証された地域おこし協力隊制度には反対です。40人います(現在50名)。それより裸一貫で来てくれる移住者を大切にしたいです」凄い男だなと思いました。僕より一回りくらいしただと思う。そして何よりも庁舎内で市長が全面に打ち出している施策を批判する。風通しの多い自治体なんだろうな、と感じました。 今、被害を被っているのは熊本県菊池市、大分県竹田市、市長同士が仲がいいそうで菊池市の課長は頭を悩ましていた。競い合ってしまいイベントが被ってどう見ても実行不可能。さらに頭を抱えてらっしゃっていたのは、領収書に印鑑をもらうのを忘れた隊員がいかにも印鑑のように赤のボールペンでなぞってもってきたそうだ。彼は40歳を超えているとのことだった。 我市においても、「彼氏が壱岐に帰るから」という見えない。3年間、産休、育休で実際働いたのは1年2ヶ月、しかし、36ヶ月分の給料。福岡市→壱岐市 どうみてもおかしいと思い、ふとイルカパークにことが頭によぎり、訪問した。やはり待遇は比較にならなかった。僕は必ず入場料を払った。いかにも仕事狙いでお茶を飲む場所になっていた。とりあえずホームページを変えよう(この話を知っているのは現在1名のトレーナーのみ)4月に入ってもホームページのトップページはクリスマスの衣装、何度も訴えました。給与の件も。ようやくクリスマスの衣装を脱いだのは夏も終わりを告げる7月28日。 結局、ホームページを変えられずに詫に行ったら、責任者なるポジションができていて。 僕は警察よりイルカパーク入場禁止を言い渡され、未だに近づけないし、もう今後も近づく気もない。 当時のイルカパークのトレーナーは、福岡県田川市、長野県松本市、静岡県沼津市、兵庫県宝塚市 どうみてもこちらの方が首都圏から地方へという形は取れている。 宮崎県串間市と鹿児島県志布志市の湾にある大黒イルカランドに私が訪問した時、話しかけてきた子は埼玉県川越市から来ていた。 確かに主旨は違うが、その土地に引っ越してきた子の待遇が違うのはおかしいと思う。就職と協力隊員とどちらも行政が運営、職務なのですから。 移住に関しては移住するのは本人の希望だから悪いことではない。ただし自治体の質にもよるのだろうが、お金を出してどうする?そこまでして人口を増やしてどうする。そして地元の人間と仲良くなり、楽しく遊んでる。 彼らに聞きたい「どうやって食べてんの?」、「働いてんの?」と聞きたい。 以前、書いたと思うが宮崎県串間市に恋ヶ浦というサーファーが自然に移住している。誰に何かをいうわけでもなく、サーフィンをしたいから住み着いたらしい。 彼らは自治体が何をしてくれるか興味もないだろう。 まとめ 大分県竹田市の移住200名というのは凄いと思うが、最近、20,000人の人口が200人増えて、影響があるだろうか?東京から地方へ、都会から田舎へ、200人の移住が1億2,000万人の日本でそんなに影響があるだろうか?捻くれた考えをすれば、1,800の自治体、隣の自治体へ引っ越せば1,800人が移住成功である。意味があるか? 移住の狙いは若い人を日本国中に、東京一極集中を避けるために設けた霞が関の施策だ。前にも書いたが、地方自治体の首長の責任は重い。そして首長に言いたい。 30歳になったら、自分の子どもを故郷に帰らせてください。 そして、生まれた町を好きな子どもに育ててください。世の中を学ぶために一度は出てもいい。ある年齢を迎えたら帰りたくなるような町をつくるのも一手ではないだろうか。 今こそ、4年前に考えた「終の棲家構想」がマッチするんじゃないだろうか。 僕はあきらめてはいない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2019年04月19日 01時44分08秒
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