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Eastasian in peninsula.

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2007.12.25
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カテゴリ:研究筆記
はっきり言いまして、今学期は、というか今学期も、ぜんぜん研究関係は進みませんでした。ダメだ、俺・・・

多少やる気があったのは夏に日本から返ってきた直後と、10月中旬・11月上旬ぐらい。後半追い込みをかけるつもりが、パソが病毒にやられたり、おかげで期末試験作成が遅れたり、その他いろいろあって、11月後半からこっちは全く何もせず。ダメだ、俺・・・

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

とりあえず、読んだ論文のタイトルをば。

中国
A神話・伝説
1「中国帝王伝説にみる受難モチーフ」
2「90年代の毛沢東伝説-神格の諸相をめぐって-」
3「オオゲツヒメ・ウケモチノカミ神話考-中国民間説話との比較-」
4「精衛伝承の成立」
5「精衛伝承の変容」
6「二女伝説-日・月の母への回帰-」
Bモノ
1「古代中国の動物図像」
2「中国涅槃図層の諸相」
C民俗
1「満族の社会習俗」
2「福建省における女性の生活と女神信仰の歴史」

日本
1「巫女と男巫のはざま」
2「念仏と修験」
3「宮古島の祭祀歌謡から見た女神」

韓国・その他
1「秩序の崩壊とモノの来訪」
2「東シナ海周辺の女神信仰と女性生活史の視点」

・・・なんか本当にまとまりねーなー。
「何がやりたいんだか、自分でもわかってないだろう?」
という感じですかね。


でもやはり読みやすい、というか読んでいて本当に面白いと感じるのは中国の神話関係ですね。中国A-1・2は同じ筆者ですが、1は文献神話、2は口頭伝承を扱ってます。私が目指しているのは多分こういう感じなんだと思うんですよね。修士時代は記紀という文献神話を扱ってましたが、今の志向としてはやはり口頭伝承ですから。でも文献神話も平行してやりたい。
しかし中国に関して言えば、文献神話をあまりに知らない。うーむ。異国にいてフィールドワークができない状態である今、まさにそういう文献を消化しておくべきなのですよね。と、明後日帰国する段階で気がついたりします。ダメだ・・・

中国A-3は日本神話と中国民間伝承の比較。実にスタンダードな比較研究です。私ももちろんこういうのは大好きですよ。大林先生の研究方法ですね。
でも、たぶん私はこういう文化史的な論文は書けそうもない。語学力がないし、興味もちょっと違ってきている気がします。

やっぱり私が目指したいのは、ある神話が「どこから伝播し、どう変形したか?」ではなく、「その神話の意味・意義は何なのか?」ということなんだと思います。
前者は神話の伝播論的研究で後者は構造分析なんかが当てはまると思います。
でも小松先生曰く、どちらも広範かつ数多くの神話を網羅するという点では同じである、とのこと。私自身、構造分析的な研究に興味を持ちつつも多くの神話伝承があげられている伝播論的研究を好むのは、それらが決して別物ではないからだと思います。

一つの神話の解釈というのは、それだけを凝視してみたところでやはり容易にできるものではありません。だからどちらも必要ということになる。文献神話の場合、筆記された時に無駄な文飾が加わる可能性も高いですから。赤坂先生の『遠野/物語考』なんかはその辺すごく注意深く読み直しているので、私は大好きですが。

あと、私個人の神話研究に対するスタンスとして、「意味がわからないところを解釈する」というのが非常に重要。「そんなの研究だったら当たり前だろ」と思われるかもしれませんが、これが意外とそうでもなくて、自分のアプローチで説明できないところは切り捨てるのが普通なのですよ。でも私はそれは違う気がするんですよね。まさに「神は細部に宿り給う」というヤツです。
昨日『三月は深き紅の淵を』の感想でも書きましたが、恩田陸の言に従えば、人が「よくできた話」に感動するのは、もともとその人にいくつもの物語がインプットされているからです。神話は、我々現代/日本人には分からなくとも、その時代/その土地の人には分かる=「よくできた話」のはずです。なぜならその人々にとってそれは真実であるわけですからね。
まあ、こういう細部へのこだわりはリーチの聖書研究なんかを想定してます。

と、いうような諸々のことを考えると、私の神話研究というのは
1「伝播論文化圏論的な観点から広範な神話を比較によって、一つの神話の『形』を考える」
2「構造分析によってその神話全体が語らんとするところを明確にする」
3「全体像を押さえた上で、再び他の神話と比較(でもこのとき使う比較対照は明らかに同一文化に属するものに限る)することによって、意味のわからなかった細部の意味を解き明かす」
というのが基本形になると思います。もちろん全ての主題でこれらがきっちりと区別できるとは思えませんし、扱う神話によってはゴールが変わってくることもあると思いますが。
でも『神話理論』のように「一つの神話から始まり、その一つの神話へ戻ってくる」書き方には非常に魅力を感じますね。


しかしこれって、私が理想とする格闘技の戦い方にもちょっと似てます。
1突きや蹴りによる遠距離攻撃で部分部分にダメージを与える(←比較研究)
2投げ技で相手に全体的なダメージを与え、制する(←構造分析)
3グラウンドで相手を制した上で、関節技で決める!(←細部の解釈)

・・・柔道経験者なので23は出来るはずですが、実は勝ち星はほとんど3関節技でした。
2投げ技は一生懸命練習しましたが、結局ものにならなかった。
1に至っては練習してみたことすらない。

神話研究を格闘技にたとえること自体は意味不明ですが、実際やってみると私の神話研究の弱点というのは格闘技の弱点とも同じ。つまり「『遠距離攻撃』=『外国の研究』が苦手」だったりします。あと必死で身に付けようと努力してるけどなかなか身につかないという意味では「構造分析」と「投げ技」もまさに同じ。「投げ技」の緻密さや完成させることの難しさというのもどこか「構造分析」と似通ってますよ。
まあ問題は、格闘技ならば「関節技」という決め技だけで勝利することもありえますが、研究ではそうはいかないって事でしょうかね。

格闘技をこれからまた本格的に始めるのは無理ですが、神話研究はまだまだこれからいくらでもできます。
まずは、突きと蹴りの反復練習あるのみ!基本動作を身に付けるのです!

じゃなかった。
日中韓台の神話の蓄積ですね。


などと、ひとりごちてみる、帰国直前のshでした。





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最終更新日  2007.12.25 14:04:32



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