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カテゴリ:活在半島
えー。今学期はいろいろ右往左往していたのでブログ更新がはかどりませんでしたね・・・最後の学期だってのに。
で。日記をまとめてアップするという邪道に走ります。 4/3 休学中の学生Kと北村&南山花見。 北村は朝鮮時代に中央官僚達が住んでいたところで、現在でもそれっぽい町並みを残しています。私はNHKの番組で紹介されていたのを見て行きたいと思ったのですが、ものすごく観光化されてました。なんか冬ソナ関係のロケ地だったらしい。 で、南山に花見へ。 その途上、乙支路を越えた辺りで、なにやら「壁」のようなオブジェが・・・ 「まさかこれは」と思って駆け寄ったところ、案の定。 「ベルリンの壁」です。 そして学生が一言、「これなんですか?」 ・・・お前、韓国人だろがー! 韓国人は「南北が分断されたのは日本のせいだ」と思っています。これ韓国的には常識で、朝鮮戦争で特需になった日本を批判するところまでセットで常識となってます。またほとんどの人は日本人が南北統一を裏で阻止しようとしていると考えています。「統一すると日本の世界的な地位が危うくなるから」だそうです。 そして「南北統一を日本が阻止しようとしたので、原爆落として懲らしめた」という映画がヒットするわけです。 これを聞くと「寝言は寝て言え」と思うのが正常ですが、実際に学生達に聞いてみると「統一は民族の悲願だけど、私が生きている間にはないと思います」という非常に微妙な発言をします。結局統一したいとは思ってないんですよね。韓国人は日本人を批判しますが、「俺達は統一したいから統一に協力しろ」と日本に言ったことはないと思います。 この日の南山はものすごい人でした。「桜は日帝残滓」の時代は遠のき、「桜は韓国起源」が韓国では一般的に通じるようになりましたね。でもまだ50%ぐらいの浸透度でしょうか。 まあ季節を楽しむことはすばらしいので、韓国起源論はともあれ、楽しく花見をしてもらえればそれに越したことはないでしょう。別に韓国が桜の起源でも一向に構いません。まあ問題はソメイヨシノは韓国起源だと植えまくって、在来種が駆逐されていることなんですけどね。台湾じゃしっかりと在来の山桜で花見してるっていうのに。 夜ミョンドンを通ったらデモってました。 「だせー」と突っ込みいれる人はいないんだろうか?真面目だからなあ。 @@@@@ 五月二日 全州 全州は朝鮮王朝全州李氏の本貫地です。全羅北道にありますが、王朝末期日清戦争のきっかけになった甲午農民戦争が起こったのもこの辺でした。 この日はGW。学生とバスで行ったのですが、ものすごく時間がかかりました。 で、本当は全州大学で行われていた映画祭で日本映画を見る予定だったのですが、キャンセルしました。 『芸術新潮』韓国特集号にも写真が載っていた殿洞聖堂。1914年完成。ビザンチン様式とか。このブログでもちょくちょく教会写真を上げてますが、実は結構好きです。宗教建築まんせー。 しかし思いっきり日帝期ですな。 日本帝国主義は植民地に神社参拝を強制したとかよく言われるのですが、国家神道時代ですからあたりまえっちゃ当たり前。植民地にキリスト教が広がった例など数えれば切りないです。しかし最近気がついたのですが、日本帝国主義の宗教政策というのは実に日本的です。つまり「いや、お前らの宗教は残してもいいけど、神社も参拝しろや」という態度。ああ、日本の常識世界の非常識、です。 神社強制参拝は感心しませんが、こういう宗教建築を残して置いたことは評価されないんですよねー。現地の文化を踏みにじりたければぶち壊せばいいんですよ、全部。ことに朝鮮なんざ、戦いもせずに国を明け渡したんですよ?銃で脅しつけて壊すことなんか簡単だったはずです。 でも、残ってる。しかもきれいに。 台湾でも同じです。廟は残ってますし、日本人が奉納した石獅子もあります。 大東亜共栄圏は建前でしたが、日本人にとって「建前は嘘じゃない」ってことです。まあ多文化帝国は所詮日本人の幻想でしかなかったわけですがね。 最近読んだ産経新聞の記事で植民地時代の朝鮮半島の神社についての紹介がありました。征服した土地に自分が信奉する神を祀る。日本人は1500年以上同じことやってます。 ところで、ソウルの「京城神社」はなんと檀君を祀っていたそうです。しかも官製ではなく一般の在ソウル日本人の寄進で立てられたとか。・・・そうですね、地主神も祭らなくっちゃね。本当に心行くまで日本人的所業です。 慶基殿。朝鮮王朝始祖イソンゲの肖像画を安置するために作られたとか。1410年創建。 ところで東学党の乱ですが、韓国ではあまり教えられていないようです。日帝は悪→朝鮮は善の公式はゆるぎないのですが、その朝鮮王朝本貫地の近くから反王朝行動が出たというのは非常に興味深いところです。 「侍天主 造化定 永世不忘 万事知」を唱えるだけという非常に単純な修養法を持ち、剣術の訓練も行われたそうで、農民にも広がりました。本来は革命思想ではなかったようですが、各地で頻発していた農民蜂起をまとめる働きをしたようです。 天を祀る祭壇を作っていたらしく、「学」といっても宗教色が強いですね。中国の反乱でも必ず宗教が関わります。1860年に生まれた思想ですが、農民達の中ではある種メシア信仰のような感覚があったのかもしれません。 もしかするとこれが朝鮮半島の真の近代化・脱両班主義につながった可能性がありますが、時既に遅しでしたね。まあ第二次蜂起では既に大院君と上層部がずぶずぶの関係だったようなので、日清の介入がなくても革命が成功したとは思えませんが。 全州駅。さすがにきれいですね。全州李氏は今も両班です。 日帰りだったので正直きつかったですが、全州ビビンバも食べたしまあ満足でした。 @@@@@ →その二へ続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.05 13:23:19
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