今日も昨日の続きとして、私の故里の街、それも西の京都と云われ室町時代から続く辺りの印象を載せることにしよう。 いや、別にさしたる意味があるわけでもない。ついでにと云うだけのことだ。かなりいい加減な性格ではあるな。
ただ、深い緑に包まれた、古都と云う風情のこの辺りは、昔からことに気にいった場所であった。 あの遠い夏の日、ここに来たのは誰と一緒だったのだろう。
私の育ったこの街については、この度帰国して訪れて、まだまだ沢山語りたいことはある。この街に生まれ早世した高名な詩人は、「これが私の古里だ/さやかに風も吹いている/ああおまえは何をしてきたのだと/吹き来る風が私に云う」とその「帰郷」と云う詩のなかに書いた。長く故郷を離れて、そう、もう日本に居ない年月の方が長くなってしまったのだが、帰り来る度にそんな思いがあった。
少年時、この詩人の生家はある医院になっていた。今はもうその木造の建物は無いけれども、かって良く通った覚えがある。亡き母がまだ若い頃一時入院したのはそこではなかったか。
その近くの居酒屋に、ほんの2日ばかり前に連絡したのにもかかわらず、今度も帰国した私に会いに同級生が何人か集まってくれた。勝れて刮目してみるべき男たちである。その連中が、今年は筋目の年であるからして、この9月に同級会をやるから帰って来いという。そんなことが出来るかどうか。しかし嬉しい誘いではある。
それやこれやで、我が故里について語ることは多いのだけれども、取りあえず次は海の中の話にしよう。我が家の近く、青海島で潜った時のことを。