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カテゴリ:浮説 徳川御用金、伊賀の蜜謀
浮説 伊賀の蜜謀消えた徳川御用金 9 日本橋鞘町 伊賀の隠れ家 伊賀の頭目黒破多呂兵衛は徳川幕府の行く末、新しい時代に伊賀衆がどう生き残るべきか、四谷の伊賀屋敷で思案を巡らしていた。 新政府軍になれば、徳川の手先として諜報活動をしてきた、伊賀の衆が断罪に処されることは間違いのないところであった。 黒破多呂兵衛は四谷の伊賀屋敷を捨て新たに隠れ家を探した。 交通の便がよく水路に恵まれていることがこれから伊賀が生き残るために重要な場所であった。 日本橋、一石橋の北側、西は外堀、南は日本橋川に面した日本橋北鞘町を選んだ。店の裏が堀で、本両替町の隣の町で、商人が行きかう通りに面していて、問屋商人の店が軒を連ねていた。 その北鞘町の中の銭屋七兵衛というもっぱら小口の両替をする銭両替の店に目を付けた。商売の内容よりもその立地が隠れ家として敵地だと思ったのだ。 表は通りに面していて間口は三間だが、奥行は七間あり広さも隠れ家としては丁度良く、裏が堀に面しているので、隠密の仕事には絶好であった。 狙った日本橋北鞘町銭屋七兵衛の店を手に入れるのに手間はかからなかった。 黒破多呂兵衛配下の沙耶(さや)というくノ一(女忍者)を潜り込ませ、 七兵衛をめろめろに溶かし、沙耶が隠居して鶯谷の屋敷で二人で暮らしたいと甘えたところへ、商人に変装した黒破多呂兵衛が五百両で店を譲ってくれと持ちかける。七兵衛は棚からぼたもちのような顔をして、あっさりと店を手放した。 黒破多呂兵衛は手に入れた銭屋七兵衛の店に伊賀の忍び大工を呼び、早速改装の手を付けた。 古ぼけた店の表はそのままにして、店の中の大改装を始めた。 堀から直接船が出入りできるようにし、床下には地下蔵を作り、隠し部屋、隠し梯子、ドンデン返し、落とし穴、さらに忍術の修練場まで造り、店の中はまるで忍者屋敷そのものに生まれ変わっていた。 つづく 朽木一空
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最終更新日
2021年12月27日 10時30分06秒
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