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カテゴリ:時代?もの2
「おお、二人の大将が揃って参内か。梨壺の退出の迎えかな」
しぶる兼雅を仲忠が何とか引きずり出す様にして参内すると、東宮が上機嫌で梨壺へとやってきた。 「左大将はまた、久々だな。今年は初めてではないか?」 「恐れ入ります。最近は家に籠もってばかりおり、久しく内裏にも参上致しませんでした。突然、我が娘梨壺の君が退出すると聞き、こんな貧乏なので車のお供をする下郎も居ないだろうと私が車添になろうと思いまして」 まあ来てしまったものはどうしようも無い、と兼雅は立て板に水の如く、すらすらと口上を述べてみせる。 東宮は見事に笑ってみせ、機嫌良さげにこう言った。 「ずいぶん豪華な車添を梨壺は持っているのだな。貧乏ではなく、とんでもない贅沢者だ。それにしても父や兄という近親を近衛の両大将に持って護衛してくれるなど、昔も今も無いことだ。ありがたいことだな、梨壺よ」 梨壺の君は東宮のその言葉にややはにかんだ様子を見せる。 「しかし今退出しなくとも、もう少しゆっくりしてもよかろう? 今月は神祭の行事が多く忙しいというのに。藤壺も退出したいしたいと言っているが、このままではそう簡単にはさせられないな」 そう言って東宮はくっ、と笑った。兼雅の後に控える仲忠はその表情に藤壺の苦労を思った。 「……そろそろ。夜も遅くなりますし」 そう仲忠は口を挟む。判った、と東宮は愛想良く仲忠に笑いかけた。 さて、三条堀河の屋敷に退出した梨壺は南の大殿にと住むことになった。食事は兼雅の殿の政所からたいそう豪華なものが用意されていた。 その席で兼雅は久しぶりに娘と語り合う。 だが内容はと言えば。 「なあ、この度のそなたの妊娠のことは東宮様はご存じなのだろうな? 本当にご信じになられているのだろうな?」 途端に梨壺の表情がやや怒った様なものに変わる。 「い、いや別に私は何も思っては無いが、人々の噂というものは怖いもので、……色々私もついつい思い悩んでしまって。それに東宮様は藤壺の御方のことも何やら仄めかしたろう? そのことはそなたはどう思う?」 「父上……」 はあ、と梨壺はため息をつく。そんな話ばかりではせっかくの御馳走も美味しくなくなってしまうではないか。 彼女はできれば、全てにおいて心のどかに過ごしたい方である。別に藤壺が妊娠しようがどっちでもいい。 自分は自分だし彼女は彼女だ。藤壺が美しく才あることも良く知っているしそれに嫉妬する気も無い。 また東宮の寵愛が藤壺に異様な程だと聞けば、自分にはそこまで執着してくれないで良かった、と胸をなで下ろす方なのだ。 無論自分は藤原の家から入内したのだし、せっかくの背の君なのだからできるだけ愛された方がいいのは判ってる。だが正直、しつこすぎるのは嫌なのだ。 母を見ればいい。女三宮も今では生活も気持ちも落ち着いているが、かつてこの父が今の尚侍の元へと去ってしまった時ときたら。入内した自分のことを忘れたかの様に仲忠のことばかり構っていることを知った時は。 そういうのは嫌だ、と梨壺の君は思うのだ。 「東宮様の本当のお気持ちは判りませんけど、私が退出したい、と申し出ましたら、お召しがあってもう少し居て欲しい、とは口にされましたが」 「……その、することはちゃんとしているのだろうな」 「父上」 むっとした顔で彼女は父を見る。 「お召しがありましたら、それ相応のことは致します。当然でしょう。東宮様一筋に」 その強気の言葉に、ああやはり仲忠の妹だ、と兼雅は思う。母は違ってもそういうところばかりは似るのだろうか、と。 「……なら、いいんだ。安心したよ。私も嬉しい。実に喜ばしいことだ。そなたの懐妊を東宮様が御承知だということさえはっきりしているなら、あとでどんなことが起ころうと恥じることも無い。ただただ喜ばしいというものだ」 心底ほっとした様に、兼雅はうって変わって明るい声になる。 それからは兼雅も浮かれて、会わなかった歳月を埋めるかの様にあれやこれやと梨壺の君と話をした。そしてそのまま娘のもとにその晩は泊まった。 明けて早朝、薬湯をすすめられていた梨壺の君の元に、東宮から文が来た。 「昨晩は妙に急いで退出してしまったので、私の方も変なことを言ったかもしれない。以前はそんなこともなかったのに、他の妃達に恨まれる様な今では私もみじめで、あなたの退出を心淋しく思うよ。とりわけ今夜は。 ―――あなたが宮中に居ても会わない日が多かったのに、この春の夜は何とも恋しくて眠れなかった――― まあ、あなたから見たら私など空言びとになっているだろうけどね。 では、希う通りの安産であることを。そして早く参内して欲しい」 そう薄い紫の色紙に書いて、梅の花につけられた文を兼雅も手に取り、何度も何度も目を通しては感激する。 そして梨壺に返しながら言う。 「ああこれで安心した。この御文は大事に取っておくんだよ」 使いの者には酒を振る舞ったり、物を与えたり、たいそうなもてなしぶりである。 その間に梨壺の君は返しの文を書く。 「昨夜は夜が更けたと申して皆がせき立てましたので、落ち着かなくて失礼申し上げました。『空言びと』とおっしゃる方へ、それだけが私の咎でございましょう。 ―――宮中と里との間を自由に出入りなさる方々を私はよそながら羨ましいと見つつ、随分久しい間退出も致さず宮中で堪えておりましたこと…… たとえお側にお仕えしていましても」 一方仲忠は東宮の文が喜ばしいものであったことを受けて、檜破子などを用意した。そして梨壺の女房達に銘々取らせ、振る舞った。 兼雅は寝殿へと渡っていった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.14 23:30:53
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