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2019.02.20
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​​​​​​​​​​​​ その人の顔容、姿勢は共に水晶のやうに冷たい静かさをなんの努力なしに保ち得てゐた。その人に特に与へられた静かさの必然性の現はれであらうか、これだけの息の詰りそうな――あゝ、まるで猶太人だ!とでも言ひ切つてしまひたいほどの、雑音と混濁した空気の仲から、よくもあれほどの孤立した絶対の静かさと安らかさを保ち得るかと驚異の眼を見張つて、その人を章子は視凝めた。
 静かさ、そのものはすでに、それ一つで完全に独立した美であるとするならば、その冷たい静かさだけでも、その人は美しい人間であると言ひ得たかも知れない。
 手を触れたらしみるほどの冷たい感じのすると思はれる黒い髪の毛が、額に淡く煙るやうにかゝつてゐた、眉とか鼻とか頬とか――さういふものゝ感じが入つて来る前に、より早く二つの眼がその人の総てを現はして迫つて来た。澄み渡つた眼――ずゐぶん済み切つた眼だつた。
 何も彼もあらゆる感情、信念、理性、すべてをこの二つの眼の奥に覆ひかくしてゐると思はれた。そして静かさ以て冷たく打ち開いてゐた。
 もの言はぬ唇は下顎の中央に紅い調つた突起を示して、閉ぢられてゐる。
 その人は、つい先程まで自分の前に置かれた茶碗の中に少し入つてゐる薄い色の茶を見守つて飲まうとする意志もなく席に着いてゐたらしい――
 章子はそこにゆくりなくも自分と同じく人生の途上に食欲を振り落として来た供づれを見出して不思議な憂鬱を感じた。

 さてヒロイン章子が慕いまくる「秋津さん」。
 初対面の時の章子の印象がこれ。
 のちの「理想の女性像」のヒロイン群に必要な条件が既にありまくりです。
 ちなみにこの「秋津さん」にはモデルがあります。その辺りは伝記二本、特に『女人吉屋信子』の方で詳しく書かれてます。
 『ゆめはるか』も出てるし細かく書かれてるんですが、この「屋根裏」とごっちゃになってるんで参考には。
 
 さて章子、入寮早々ボヤを出しそうになり、途方にくれます。
 そこを黙って助けてくれたのが秋津さん。隣の部屋でしたから。
 すっと来て、広がる火を掻巻で消して、さっと帰る。
​ 翌朝「これどうしよう」っておろおろする章子のとこにまたすっと来て、火を出した提灯も焼けただれた掻巻も「……私がいたゞきませう――ふたつとも……」と言って引き取ってくれる訳です。ついでに舎監へ何やら言い訳もしておいてくれたらしい。​
 で、そんな秋津さんが電車に乗るところをを見送る時。

 美しい人を乗せた汚ならしい電車は秋の朝空の下を走つて行つた。

 次に秋津さんが出てくるのは林檎箱が届いた時。
 この時には男言葉の工藤さんも一緒に出てくるんだけど。
 割とあきらめやすい秋津さんと対比する様に工藤さんは根性で二人を助けて四階まで林檎箱を運ぶのを手伝ってくれます。

 次が入浴とそのあとの露台。
 やっぱりシャワーを使うのに四苦八苦おろおろしていた章子を秋津さんが助けてくれます。
 ​​そのあと「水色のセルの単衣を着て白い大きなタオルで髪の毛の雫を拭いてゐた」秋津さんと露台へ移動。「もぢもぢしていたら」秋津さんが誘ってくれた訳です。​​
 露台と言っても、物干し兼用な場所なんだけど、秋津さんはあえて露台(バルコニー)と言ってます。
 で、章子の妄想爆裂。

 章子は自分自身、今その深き夜の海を航海する船の甲板に月光を浴びてゐる心地がした――。
 ふとかたへを視ると、これも言葉なく何を思ふのかわりなくも澄んだ双の瞳に月光の流れをくんで肩に乱れる黒髪を優しい指先にもてあそびつゝ恍惚と欄にすがる秋津さんの俤のうつくしさ――
 もしも人魚といふものが月の光を恋うて渚の岩にすがつて嘆いたら、かうした姿ではあるまいかと――はづかしいほど子供らしい心もちに章子はなつた。
(……)
 いつまで、いつまでも、いつまでも、ふたりはさうしてゐたかつた――もしもこの地球に破滅の時の来るならば、その時までふたりはかうしてゐたいのに――と章子は心で切にねがふのだつた。

 で、秋津さんに恋してると自覚してしまった章子は色々思ったりするんですが。
 言える訳なく 、隣と自分を隔てる壁に相手の名前を書いたりしてもだもだしている訳です。

 そんな折、教会に行かなくてはならない日曜を秋津さん洗濯の日と決めていることにびっくりの章子。微笑まれた章子にとって「秋津さんの手の袋はもう洗濯袋ではなかつた、美しい宝石の数々を納めた袋であつた、そしてその片手に持つ白い石鹸の棒は白熱の焔を燃やす白蝋の燭であつた……。」な訳です。

 日曜日の夜は祈祷会があって、そこで章子はブロークン英語で笑い者になっています。ここでは秋津さんはただつまらなさそうな顔をしてるぶんで、特に援護射撃をしてくれる訳でもなく。
 まあそんな日曜の、嵐の日。お客が来ない祈祷会ということで、皆それぞれの信仰談「我が信仰を高めんが為の努力」をすることに。
 皆立派なことを言うんだけど、章子にしてみみれば、

 章子のもうその頃の心底には、如何なる美しい神の福音を、あらゆる豊富な言句で抽象されても、それらは、なんの魅力も感動をも伝へ得なかつた。章子は、もう抽象の世界に、神の信念に依って描かれる幻を求めるものとはなり得なかつた。抽象の世界を離れ、幻の領土を遠く去つて、そこに現実の地を求め実在の境を願つた。有神論を説かるゝ前に、天使の翅の半片でも手に触れさせて貰ひたかつた。泪の祈祷を聞くよりも、神の衣の裳の音を耳に響かせて欲しかつた。――章子は実証なきかぎり彼女の信仰は常に砂丘の塔であつた、懐疑の黒波が刻々に砂丘をくづいて流し去つた。寂寥の風が塔を吹き倒すばかりに絶え間なかつた、不安な黒い沙漠を何ものゝ光もなしに当どなくさまよふ反教者の足裏には、恐怖と苦惱の霜が凍りついてゆくのだつた。

という状態。
 だから「私は――私は――神様の――お姿を――確かに眼の前に見ましたら――すぐに信じますッ――」と言って、まあ周囲はそこでどっと湧いた、と。
 で、最後の賛美歌の時、見ると秋津さんは口をつぐんで歌っていない。
 そんで失意のまま四階まで戻ろうとした時。

 ……章子の背後に温かい別個の肉体が犇々と迫つた……優しいしなやかな腕が柔かに速き熱度をもつて章子の顫へる肩をかたく抱いた……忙しい煽られた波うつて章子の頬に当つた……湧きあがつた言葉の断片が、わなゝきながら千切れ千切れに間隔を置いて迸しつた……
「貴女は……貴女は……なんといふ……純な正直な……方でせう……」
 ……燃えるやうな焦点を章子は額に感じた……かぐはしく熱い唇が顫へつゝ章子の髪毛の垂れたその額に泪に濡れて押し付けられた……

 うん。とても都合のいい話ですねえ。
 ともかく立ちすくむばかりの章子に、何かと黙って助けてくれる、容姿端麗、時々反逆者、の恋い焦がれてた人は、自分から告白してくれちゃう訳です。全くもって都合のいい!

 以下次回。

**

 ……秋津さんのリンネルの寝衣は淡い木犀のやうな匂ひがした……いつとしはなく、その木犀の花の香が章子のネルの寝衣の袖にも移つた……かくて木犀に似 てなつかしく薫れる夜の臥床に……ふたりの腕は搦むやうに合された……やさしく刻む心臓を包むふたつの胸も……始めもなく、また終りえしらぬ優しい夢に二 つの魂の消え入るごとく……柔かく嫋やかな接触……潤ふ赤い葩のわなゝいて溶け居るごとき接吻……柔かに優しく流れて沈みかつ浮かび消えゆき溶け入りて溢るゝ緩き波動………………。

 うんだからどーしてすぐにそうなるんですかあんた達。
 
 さてくっついた二人ですが。
 屋根裏には二つ部屋があった訳です。
 それを、

「瀧本さん、ふたりのお部屋いつしよにしませう」

と秋津さんが言い出したことで、秋津さん側の部屋を書斎、章子側を寝室として一緒に使うことになります。

 夜になると、ふたりでそのの部屋へ入つた。
 秋津さんのおふとんは真に美しい、たぶん羽二重とかいふ布であらう、かけぶとんは表が真白である、白い絹地に大きな鞘形の模様が織りだしてある、そして裏はやつぱり同じ地で紅い、その紅い裏が、ぐるりと表のまはりまで折り返してあつて、白い表を長方形に包んで、くつきりと白い地を浮き立たせる、敷ぶとんも厚い二枚とも、やつぱし、まはりに紅い裏地を折り返した白い表のおふとんの一対だつた、たゝ掻巻だけはあのいつかの夜章子の吊した提灯の焔のおかげで裏をこがしてしまつたので、そのまゝ戸棚の奥へ運び入れてしまつたまゝになつた、掻巻の代りに薄くて軽い白い毛布を広いシーツで包んでかけたのだつた。枕は大きな羽根枕で、秋津さんがそれに頭をのせると、ふはりと凹んで、黒髪も白い片頬も埋もれてしまふ。
 ほんとに綺麗だつた。

 この狭い青い三角の部屋には世にも美しいその寝床ひとつだけで十分であつた、それゆえ臥床はその美しいのひとつだけを夜毎にふたりとも使った。

 うんまあそれはいいんんですよ。
 だけど章子はともかく秋津さんがどーしてそういう気になってしまうのか不思議なんですよ!!
 つか描写がない。
 だって「あなたは何て純なひと」っていうなら、それって精神的なものなんですよねー。
 だけど冒頭にあげた場面ってのは、あえて美文しまくりにしした辺りとかー、「……」使いまくりとかー、これでもかとばかりに使ってあるあたり、そういう描写だと思うのですが。何か想像しろとばかりの。

 でもまあともかくここは「くっついた」として、その後の二人の生活。

 まず林檎の会が開かれます。そこで工藤さんの他にも数人出てきます。
 「身体も顔も言葉も動作も、みんちんまりとまるつこい感じのする」「ちんまりとふくらんだぐみの実のやう」な矢野さん。​
 「落ち着いて真面目、そしてどこか田舎らしい気が姿にあつて、ずんぐりと肥えて」いる「まるで水気の多くてまづい馬鈴薯の煮ッころがしのやう」なお静さん。​
 「捉へどころのないぬうとした図抜けて身体も動作も大きくぼうと末が霞んでゐる」「たいへんに大きい縁なしの円形の眼鏡」をかけた佐々川さん。​
 「あたりの人物や雰囲気にそぐはな」い程、流行の格好を綺麗に着こなした太田さん。​
 「一寸若いなりたての奥さんに見える」「可愛い」森さん。​
 まあそれだけで誰が既に章子にとってどうなのか判りそうですが。
 
 また、章子と秋津さんが外出して街を歩くこともありまして。それを秋津さんが「面白い」と言ったことから工藤さんもその仲間入りをします。
 クリスマスには秋津さんが黒の絹手袋を「みんなにね」と買います。で、それが上記の人々皆に回ると。で、それが痕で「黒い手袋党」と言ったりするんですが。まあ皆仲良い、ということでいい時期です。

 またある時は、工藤さんが皆を誘って「Nさんの個人展覧会」に誘います。
 このNさんは工藤さんに言わせると、若くて才能も熱意もあるけどまだ名が知られていない画家だ、ということ。で、巣鴨の「貧民窟」にあるアトリエに連れだって行ったり。

 そしてまた工藤さん発議で黒い手袋党のクリスマスをしたり。
 この時秋津さんが章子に書いた置き手紙がなかなか可愛らしい。

 あんこちやん

 ぎんざへおいしいものをかいにゆきます
 おとなしくおるすばんしてね

 まあ考えようによっては、つまりは可愛がる対象に章子をしていた、という感じもしますがー。
 しかしこの外出時に、この長閑な事態が変化する原因がやってきます。
 秋津さんの過去の女性です。

 章子は始めて見た。
 かくまでに衣装と人との美しく溶け合った姿を――
 美しい人は手には毛皮のボアを持つてゐた。

 無論その前にはその美人さんの着ているものの描写がたんと出てきます。
​​ で、このひとが、秋津さんあてに「赤いリボンで結んだ細長い小箱の包」をことづけて行く訳です。​​
​ 入っていたのは「可愛いお河童の人形で、緋の羽二重の振り袖に同じ地で濃い琥珀の帯を立矢に締めて笑ひを含んで大きな眼をぱつちりと開け」た人形でした。​
 そして秋津さんは章子に過去の写真を持ち出して「この人か」と問いかけます。章子は肯定。
 すると秋津さんの眼に泪。

 ここまでが平和な日々でした。
 以下次回。
​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2019.02.20 18:23:41
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