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2019.02.20
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​(……)でも仕方がない。この上は賢二との結婚生活をしつかりさせて、兄の杞憂を一日も早く払つてあげたい――澪子はかく心に願つた。賢二性格上の欠点は、やはり多少認めている彼女であつた。でもそれは、結婚後二人が、互の人格の完成につとめ合へばいいのだ――またさういふ意味なしに、たゞ一時の青春の愛欲から、盲目的の愛に溺れるやうな無智な、二人の生活ではならない――それだけの覚悟は、澪子は負った。

 台風が来ておりますので、「暴風雨の薔薇」にしてみましたー。

 昭和5年、欧米を回って帰ってきた第一作の連載です。
 でまあ、このヒロイン澪子さんは、「処女のままでないヒロイン」、結婚出産をしている女性、ということなのですが。
 このひとは年の離れた兄夫妻と当初一緒に住んでます。つーか、養われてます。
 女学校の後、音楽の道は断念して、高等師範へ行って、23歳で地方の高等女学校の教師になります。下宿中。
 で、そこで出会ったのが、高島賢二。この時点で「三十格好」です。図画の教師です。
​ 見た目「背の高い痩せぎすな、三十格好の、神経質なやうな、眉と眼の迫った男」「身支度もいそいだと見えて、ネクタイは粗末に結ばれて、おまけに曲つてさへいた」「頭髪は無造作に長く伸ばされて、油気もなく後ろにばさりと掻き上げられて、少し頭を動かすと、額にばらばらと毛が落ちかぶさるのだつた」。​
 その賢二と、初任給で買い物をしようと出た時にばったり会いまして。女学校時代の親友に送るものを一緒に選んでもらう次第。
 この時、なかなか画家として芽が出ない自分に苛々している彼をを見て、

 ――さういつて苛々しげな彼を見ると、もう澪子も何も言へぬ気持だつた。――むしろそういふ彼を何か母らしい姉らしい柔かい心づかひで、いたはり包んでやりたいやうな感情を覚えるのだつた。

 五月頃がまずそういう感情。

 で、夏休暇で兄のところへ帰った時に、千葉の海岸に絵を描きに行ってる賢二から葉書、ついで手紙が。
 スケッチブックに海の風景、その上にこんなの。

 僕は断然今年の夏休暇を呪ふ。こんなことなら、寧ろあの学校の職員室の時間が僕にはより幸福の筈ではないか。僕はもう十日まる切り仕事をしない。パレツトの奴がかちかちにかたまつて、捨てられてゐる。二科出品は諦める。毎日鰹の刺身を食べ飽きた悲哀の胃袋を抱へて、浜にも出ず宿の二階で、悪魔につかれた男となつて寝ころんでゐるだけの事だ。「彼を何がさうさせたか?」――「私の知つたことぢやない」とあなたは言ふがいゝ。

 この後に「何か書き出しかけてやけにペンを投げ出したらしく、二三本ぎざぎざにペンが二つに分れるほど、たゞ線が縦横に引き交わされてある、乱暴な手紙だつた」わけです。
​それで澪子さん、この「いさゝか狂人めいた、荒削りの生々しい」手紙にこう思ってしまうんですね。​

 澪子は、その中に、男の――情人とやゞちがつた芸術家肌の男の熱情の、近代的の苛々しい表現に酔ひ咽ぶ観じを強く受けた。初めて自分の前に現れた一人の異性の荒ひ息づかひと、燃ゆる野性的な眼を胸に観じた。そして異性が自分に差し伸べた、たくましい両腕に、犇と心臓をつかまれた思ひだつた。そして澪子の身内の「女」を、今一度にこの賢二に引き出されてしまつたかのやうに――

 で、翌々日、さくさくと澪子さん、彼のもとへ出かけて行ってしまう訳ですよ。
​ で、「当然の結果として、彼等二人の恋愛が急速度にテンポを早めて行つた」訳です。​
​ こんな大胆さにも拘わらず、新学期からは澪子さんは「聰明につゝましく」「二人が恋愛の道程の結果として結婚の形に入るまでは、自分達の境遇上、みだりに人の口の端にのぼることがどんなに不利益で恥さらしか」と思ってたので、隠しまくる訳です。​
 で、11月、宿直の時に、賢二が学校を辞職した上で結婚、賢二は挿絵や口絵を描いて、澪子も働いて助ける――という話をする訳で。
 12月には賢二は退職してしまう。次の新学期辺りに結婚、という約束もする、と。
 けどさすがにそーなるとおにーちゃん、心配ですよ。異母妹ですが、ほとんど親の気分です。で、品定めに出るんだけど、今一つ心配そう。澪子さんは「それでも」とほのかに説得して兄も「まあいいか」的。
 その上での冒頭の文章どす。出会って一年での結婚です。

 ところが一度結婚してしまうと、賢二は変わります。少なくとも、澪子さんの視界では。
 まず、最初のデートで友達への贈り物を選んだこと。それを覚えてません。その友達に結婚を知らせたい、と言うと。

「ぢやあ手紙にすればいゝよ。何なら俺が一寸描いた絵葉書にしてやらうか――」
 彼はかう言った。結婚前の恋愛中(をかしい言葉ながら)は(僕)とお上品に言つてゐた彼が、結婚後いきなり習慣的らしい(俺)に変化させてしまつたのと、そして澪子への言葉使ひが、ひどく粗末に下落したのはをかしかつた。良人らしく気をゆるめたのかもしれないが、言葉使ひはともかく、(俺)だけはそのうち願下げにしなければ――澪子はそう思つた。男が妻にも女性にも向つて、(俺)といふのは、澪子の趣味のデリケートが少しいやだつたから――

 なかなかよく判らない引っかかり所です。
 で、祝い品をまきあげてやらなくちゃ、という彼に。

 かう言つて笑う賢二の言葉は、聞きやうでは、やゝ下司に思へるが――でも彼の生立ちが無智な階級の貧しい農家だし、良い家庭に親の正しい愛も受けず投げ出されて、一人で生きる途を拓いた彼が、時々粗野な冗談を口にするのも仕方がないと――澪子はそう思つてゐた。それもまたやがて直つて貰へることだらうし――それに男が、そんなことほ妻に言つて笑ふのも、別に悪いことでもなし……と。

 はい少し何かお互いにめくれてきましたね。澪子さん自身の上から目線も出てきました。
 
 それからというもの、遠い女学校に勤務する澪子さんにも関わらず、賢二は何もしません。そんでまた​​澪子さん自身、家事も自分できちんきちんとしなくては気が済みません。「自分一人のゆつたりとした時間といふものは、少しも持つことがゆるされなかつた」訳です。で、「ちょっとは自分で動いてほしい」的な要求をするとひがむんですね。​​
 で、お友達からお祝いが来るんですよ。銀の紅茶器セット。澪子さんは相応しい家庭にしたい、と思い、賢二は「高く売れる」と言うと。
 はいもうここの処に違いが。
 家計にしても、澪子さんの稼ぎだけなのに、時々賢二の画家仲間が押し掛けてくて、ある程度もてなさなくちゃならない。しかもその仲間達が酒宴の席で話題にするのは「女」のこと。

 それも正当に女性観といふものを語るのでなく――学窓から教職の生活を純潔に経てきた澪子の耳には初めて驚きと火の出るやうな羞恥に打たれる、淫な女性の肉体上の話に興じ合ふのだつた。

 なので澪子さん言います。

「ね、あなた、お客様がいらつしやることは少しもいやだと申上げるんぢやないですの。だけど、あんな会話は、一切この家の中ではおよしになつてくださらない――私達の家の中は、もつと真面目に綺麗な空気にしませうよ――お願いですから――」
「馬鹿言へよ――駄目だよ。女が三人よれば姦しいんだし、男が三人よれば、猥談が生じるのは当り前だよ。男性つて上下おしなべて皆さう出来てゐるんだ――」
「まあ……ほんたう――」
 澪子は、良人の証明して見せる「男性」の本能に呆れた。もしそれが真実ならば救はれぬは女性だと――
「でもそれに打ち克てばいゝでせう。主人のあなたが断然紳士らしく上品になされば、お客様だつてつゝしみますわ……」
「いけないよ、女だつて集まれば、すぐ着物や化粧の話におしやべり仕合ふやうなものさ――」
「いゝえ――近代の進んだ女性は、もうそんなおしやべりから離れてゐますわ。男の方だつて進んだ知識的な方はきつとさうでせう――」
「俺達は教会の牧師ぢやないからね。何に牧師だつて、当にはならんよ、たぶんハッゝゝゝゝ」

 ということで無論聞いちゃくれません。まあ当然でしょう。求めるものがそもそも違ってます。
つか澪子さん、結婚前で既に気付いているべきでしたよ。一応「恋愛結婚」だった訳ですから。まあ気を惹くために「僕」でお上品に喋っていた賢二が悪いっちゃーそうなんですが。
 で、さすがに家計が……となった時、ようやく挿絵描きするんですが、画稿料はすぐに交遊費に変わる、と。
 さすがに澪子さんにも「恐ろしい考へ」が浮かび始めます。

 ――良人は自分に精神的に裏づけられた愛を持つてゐたのかしら? もしや……もしかしたら、肉体的にのみ彼の男性の本能で愛されてゐたに過ぎない自分ではなかつたらうか――
(……)
 あゝ決してそんな愛だけであつてはならない。もしさうだと仮にしても、結婚生活の努力で、それを精神的に高めるまで私は生命を賭けよう!
 生涯にたゞ一度! たゞ一人! 運命が与えしその人よ! と思へばこそ彼女は彼を選んだのだつた。たとへ――青春の熱情がもたらした、自然のあやまちでよしそれがあらうとも!

 いやもうその時点でアナタ。そこまで深い記述はなかったやうな。澪子さん自身もあまり深く考えてなかったような。つか押し切られてるじゃないですか。
 前提が何というか。
 選んだ自分が間違っていたということをてこでも認めたくないというか。

 でもどうしようもないのは、この時彼女が妊娠していたからですね。六月に発覚。早いなあ。
 ところが「また子供か」という言葉がぽろっとこぼれてしまうんですね。
 で、夏休みにまた千葉の海岸に賢二が出かけた時、彼が結婚前に作ってた子のことを知ってしまうんですね。澪子さんは訪ねてきた女の父親に話を聞いてこう思う訳です。

 教養身分の差こそあれ自分と同じやうに嘗ては賢二を女心の一筋に思慕した同性のその受難――を今ありありとその娘の父親の口から聞かされようとは――あゝ!

 で、養育費の送金が途絶えてた、ということで澪子さん、その老人に渡す訳ですね。大感謝されます。
 ちなみに賢二が夏に描いた絵は、二科展でしっかり落選します。はい。
 そんで出産が近づいた頃に、その「かつて」のことを賢二にそろそろと話すと「結婚前のことは関係ない」と怒ります。
  さて澪子さん出産しますが、この子を兄夫婦が当初っから可愛がるんですね。そこで澪子さんの口から、例の「母性愛」発言出ます。

「自分の生んだ子だけ、むやみと動物的本能で猫可愛がりに愛すのなんて当り前で、別にほめ立てる事はないんですわ。自分の子だけ愛す意味の母性愛なら、利己主義な狭い愛ねえ――私もさうした利己主義の愛情だけで子供に溺れたくないわ――」 

 とても望んで出産したばかりの女の言葉じゃーないですwww
 ちなみに内心。

 ――まあ、この赤い風船玉のやうな、ぶよぶよした小さい小さい顔、柔らかく烟つてゐるやうな髪の毛、そして小さく息して――まだ何もかも抱く母をさへ意識しない、混沌とした生に芽生えたばかりの小さい生命を宿して、昼も夜も乳を飲む以外は眠り続けてゐる――この小さい者が私の子供なんだわ――私を生涯母と呼んで、この私から母としての愛情を引き出し、母としての悩みを与えたり、母としての喜びをくれたりする筈の子供なんだわ――

 喜びが最後ですか、というのはツッコミすぎでしょうか。
​ いや一応望んで生んだ子にしては、手放しで可愛い可愛いという感情が生まれないものかと思うんですが、まあ前述のように「溺れたくない」と思っているひとですからねえ。​

 で、この子供は働きにいく間、兄夫婦のところへ預けます。会えるのは週末、土曜の午後から日曜の夕方までだけです。
 で、生後百日過ぎた辺りで、種痘を受けさせたんですが。
 その帰り道、金魚を買って帰る時、その水がちょっとこぼれて、子供の着物の裾を濡らしてしまったんですね。
 ここで「裾」が問題になるんですが、というのも、種痘を股にしてやってくれ、と澪子さん頼むんですよ。大きくなって洋装した時、女の子に痕が残っているのは……と。欧米ではそうだし、と。
 さてそれが原因かどうか判らないですが、原因不明の病気になってしまうんですね。慌てて兄にタクシーで呼ばれる澪子さん。兄夫婦はもう実に献身的で。まあそうですよ。実の母よりずっと長い時間、乳呑み児の毎日の世話をしてくれていた夫婦ですよ。理屈こねくり回す澪子さんと違って、こっちの夫婦は実に純粋。特に嫂さんは素晴らしく。
 種痘後に「一種の連鎖状球菌が……」「稀に」って話になって、もしや自分の不始末で……と澪子さん医者に聞くんですが、そこでは医者も打ち消します。ですが、「そういう書き方」をしている以上、まあまず澪子さんのその不始末の結果ではないかなーと思います。はい。腕にやっていれば、濡れずに済んだ訳ですし。
 で、闘病中、賢二はさっぱりやってきません。そして病状芳しくなく、とうとう子供は亡くなってしまいます。
 で、その直後賢二がやってくる訳です。おにーさんさすがにぶるぶる震えながら怒ります。当然でしょう。
 
 もういい加減そこで賢二を見限ってしまえばいいものの、澪子さんまだ子供の葬儀のあと、こんなこと言います。
 毎日のように見舞いに来る嫂は「澪子よりも愚痴っぽく涙を新たにする」んですが。

「お嫂さん――私もうこの悲しみから卒業してしまひたいのよ。いくら嘆いたつて仕方がない悲しさに、いつまでも自分を甘やかしてゐるのはやつぱり悪いことですわ。そして果ては子供一人の死のために、生活を何もかも滅茶苦茶に崩してしまふのは、恐ろしい愚かなことですもの――みどりの死をたゞ悲しみでだけ受け取らずに、私あの子は私達夫婦の貴い人柱になつてくれたのだと思つて、もう一度力を出して、賢二と二人の生活を順調に固く結びつけて行くつもりですね――それがあの子の私に与えてくれた教訓でしたわ……」
(……)子を失つた悲しみの淵から、彼女は雄々しくもう一度立ち上つて、人生へ、生活へ、更に強く進まうとした。それより以外に亡き子の死を永遠に記念し、その死を貴く両親の胸に生かす道は無いと信じたから。そして彼女の教養と理性が杖となつて、彼女を助け起こしてもくれた。

 いや絶対嫂さんくらい泣いてくれた方が「らしい」ですよ。マジ。

 で、澪子さん、子供のものの片付けものします。と、かつて自分達の結婚祝いに、とくれた銀の紅茶器が無いです。
 賢二に問いただすと「売ってしまった」とのこと。
 そこで思うんです、とうとう。

「あゝ、こんな生活! 私、私、不二子さんにはづかしい!」
(……)
「ミドちゃん、こんな可哀想な母さんを、どうして一人ぼつちにして逝つちまつたの?」
 と、わつと咽び泣いた。

 ポイントはそこかい、です。はい。
 子供の死に際に来なかったことではなく、「友人からの贈り物を勝手に売られた」からですか。

 うん、本当にこの澪子さんには本質を見抜く目がないです。 

**

「(……)私は帰京の決心をひるがへして、せめて託児所でなりとお手伝ひいたしたいと思つたのでございます。私もまた都会の女学校の教壇に立つよりも、この農村の託児所で、働く母親の子供を守り導く仕事こそ、数段意義があると信じて、是非働いて見たいのでございます」

 さて子供が亡くなった時の態度より、親友からの贈り物を売られてしまった時の方が良人に幻滅したようだった澪子さんですが。
 さすがに現状打破、と「なんとなく」この夫婦思ったらしく。
 画会を開いて、その金で賢二を渡仏させよう、ということに。その客として招いたのが北海道に住むその親友の良人伴守彦氏。
 この人を見た時の澪子さんの感想。

 額の広い、眼の優しく凛々しい、無髯の口許のあたり、高く通つた鼻筋、帰属的に美しい紳士の顔は、今車上から澪子に、親しげに打ち解けた笑顔を向けたのである。

 賢二の第一印象と対照的ですねー。
 で、この人がスポンサーになって賢二をめでたくフランスへ。彼はこの物語からも退場します。
 で、澪子さん、七月半ば、賢二を見送ったとたん倒れてしまいます。まあたぶん過労です。が、皆「良人と離れて辛いのだろう」と推測しますが、澪子さん自身は「ホッとしたやうに或る解放感」で一杯。まあそうでしょうが、内情を知らない周囲の人々は良い方に取るもんです。
 澪子さんはそこでまた思う訳ですね。

 おゝ悲しい夫婦よ。そしてまた自分は、良人へ別れの辛さに純粋に嘆き得る妻の幸福さへ、人並に味へないのだと思ふと、ああそれほど私共の結婚生活は、ひどくへし曲げられ、ねぢくれてゐたのかと――今更に澪子は心寒かつた。

 で、夏休みに北海道に転地療養することに。「もしこの夏休み中に健康にならねば、その上で暫く学校をやめませう」と。
 で。
​ 澪子さんが最初の学校に居たのは1年です。​
 ​次の学校の1年目に妊娠して、多少産休取ってまた復帰して、翌年の一学期で休職。​
​ ……2年と1/3しか居ませんね。​
 まあ当時ですから。結婚すると言えば辞めてしまう女教師だって居た訳ですし。でも基本的に「ずっと続けていける職」のために高等師範で学んだんですよね。まだその通った期間も働いてません。

 で、北海道。「十勝平野」で近い街は帯広の様です。
 友人不二子さんには一人息子が居ます。とっても幸せそうです。お嬢さんのまま結婚出産、何一つ不自由ないように澪子さんには見えます。
 ただこの不二子さんも、澪子さんの結婚生活をいい様にいい様に受け取り、何か否定的なことを言うと「へんなこと」で済ませてスルー。既に澪子さんは良人のことを「あんな賢二」としております。​殆ど憎んでませんか澪子さん。​
 で、到着翌日起きられない。「神経衰弱の気味とそれから心悸亢進症ですな――過労からすべて来ることですから」と医者にも言われてしまいます。
 ともかく気楽に過ごすこと、と友人のもてなしをひたすら受けることに。
 その中で賢二が到着の葉書を送ってよこしたのですが。

 海外の良人からの第一信は、妻として胸躍る思ひで、どんなにか思はず抱き締めたいほど――不二子の言ふやうに絵葉書の上にさへ熱い接吻を惜しまぬほどの感激を起して受け取りたかつた――それだのにそれだのに、もう自分にさうした気持の熱情の持てぬのがしみじみ寂しくやるせなかつた。また賢二の方に註文して見れば、海外電報料がいくらか高価なものであらうとも……それだけの心持は、離れて故国に寂しく残る唯一人の妻へ心づくしを示して欲しかつた。その後いとせめて、レターペーパー二三枚の旅行中から到着までの心持でも書き綴つて、第一信として送つてくれたら……澪子はしよせん甲斐ないことゝは諦めつゝも、良人になほも縋つて求めたい、愛情の最後の一滴への限りない女心の未練が起きた。

 で、も一つ彼女の心を痛めたのは、パトロンである伴夫妻に何もなく、ただ「よろしくお伝へ」だけ。

 自分のパトロンにはなり、妻もまたそこに暫く滞在すると知つてゐる以上、もう少し心づかひと感謝の意を忘れずに持つて欲しかつたのに――貰ふものだけ貰ひ、行ける所まで行き着いたら、その後はけろりと知らん顔をしさうな賢二の気持が、澪子には危ぶまれて心配だつた。第一不二子に対しても面目なかつた。

 とまあ、無いものねだりです。判っていたはずです。良人がどういう人間かくらいは。
 それでも「こうあるべきだ」という姿が今現在自分の手元に無いことを澪子さんは悲しむ訳です。

 澪子さんというヒロインはどうも夫婦というものに何かしに一つの夢というか理想の型を持っていて、そうできなかったら努力してその形になればいい、と思っていたようですが。

 そーう簡単に行く訳ないです。


 だいたい賢二に「俺」を改めさせようって辺りで既に相当厳しいです。気楽になった時の一人称を変えろなんていうのは。
 じゃあ澪子さん自身は、何か賢二に頼まれて変わったことがあったか、というと。賢二の行動をただ我慢していただけです。この二人がケンカしている場面が無いです。賢二が勝手に色々やって、澪子が理想論を言って、それを賢二が馬鹿にして、澪子が我慢して、その繰り返しです。

 外に出来た子供のことに関しても、それは澪子がどうこう言うべきことではなかったはず。​賢二の問題として、賢二がカタをつけるものでした。​
 彼が金を向こうに渡すつもりだったかどうかはわかりません。だけど確実に妻から突然「……すべきじゃないかしら」なんて突きつけられたら、そら逆上するわ。隠しておきたかったことを唐突ですもん。

 無論賢二の態度がいいなんて言いませんよ。
​ ただ澪子さんの対応は凄く賢二という個性に対し「間違った対応」をしている訳です。​
 彼は絵描きで自分勝手です。貧乏に生まれたから澪子さんから見たら変なところでケチなのにどうでもいいところで金を使う存在です。ワタシだってこんな男嫌です。
 ですが浪費するわ猥談はするわでも、別に暴力夫ではないし。
 彼が子供が病気な時になかなか帰らなかったのも、彼なりの事情があったかもしれないのに、そこは置き去りです。
 どう考えても、彼等は――少なくとも澪子さんは賢二を選ぶべきではなかった訳です。もっとも、ヒモ体質の男を何だかんだ言って依存させてやってしまう精神構造ではあるのですが。
 で、どんどん理想は遠く、子供まで亡くし、「型」には絶対はめることのできなかった結婚生活は彼女の中でどんどん悲惨なものになっていきます。
 特に、この伴家が、絵に描いた様なマイホーム主義な家庭であるから比較して余計に。
​ しかも、この不二子さんの旦那の守彦、結婚するまで童貞でした。これに澪子さん感動してしまいます。​
 
「(……)私達女学校時代の同期生の百人あまりが、今たいてい結婚してゐるでせうけれど、恐らくその中の九十九パーセントまでは、童貞の男性と結婚できた幸福な方なんて、ゐらつしやりはしませんわ。その中のたゞ一つの例外の幸福者は、あなた一人よ。不二子さん、神様に感謝遊ばせよ」

 ということで、だんだん澪子さん、友人の良人である守彦に惹かれていってしまいます。
 困ったことに守彦も澪子さんに惹かれてしまいます。
 結婚祝いに送った絵から澪子さんを会う前から敬慕していたそうな。
 さすがにまずい、と釘をさすべく、ちょうどその時期起こった農村の子供の水死事故をきっかけに、託児所の仕事を欲しい、と頼む訳です。それが冒頭。
 で、あくまで「高島賢二の妻澪子としてお手伝ひいたす」ことを強調。

 まあその託児所に関しても、やっぱり「啓蒙」が頭にあるようで、不二子の子供の晃一に対しても、こんなことを。

「不二子さん、ね、晃ちやんが、村の子供達の悪い感化を受けるよりも、かへつて晃ちやん一人の力で、村の子供達に、自づと上品さや、礼儀正しさや、善い言葉使ひを教へて、善い感化を与へる生徒に、おさせませうよ。私も、一生懸命でさうしますわ。そんならよろしいでせう」

 不二子さんは「村の子供達とあんまり遊ばせると、悪い言葉をすぐ覚え」ること、「病気でもうつされては大変」と心配してた訳です。棲み分けですね、こっちがごく普通のこの階級のひとの発想ですね。
 澪子さんのそれは、……どう見ても晃一くんが孤立するのが目に見えてますが…… 彼は「悪い言葉」を共有することで仲間になっていたと思います。逆に自分の言葉に取り込んでやろう、なんて多勢に無勢、できるわきゃないです。理想に過ぎません。無理です。はっきりと。つかそんなこと子供に託すなって。
 一方で守彦は……何っーか、「理想の村」経営を夢見てるようですね。だから自分が受けてきた教育とかが「不用の苦しみ」とか言っている訳ですよ。
 まあそれで「クリスマスまでに」建物の完成を目指す訳です。で、女学校退職します。ホントに一年と一学期だけでしたねえ。

 じゃあ託児所はどうか、というと。
 まず冬になるにつれて、どんどん澪子さん守彦に惹かれていきます。

 青春いまだ若く世にも世にも人にも慣れず、学窓を巣立つたばかりの自分が、鹿島の女学校の教職に在りし頃、最初彼女の前に現れて、烈しい男の求愛を示した賢二へ、もろくも(恋を恋する頃)の処女の純情のまゝに走つた、過去の単純なあり来りの恋にくらべて、すでに人妻となり子もなして、様々の人生の憂き苦労を身に経たる今、かくも人の良人に魅かれゆく愛慕の想ひこそ――まつたく血みどろの(女心)のまことの愛慾か――これぞまこと断ちがたき宿世の縁の(恋)なりや!
 ほんたうに(男)といふものゝわかつた今、恋してしまつた(男)彼こそ――私を完全に囚へ、征服してしまつたのではあるまいか――澪子は地獄の業火の焔に狂ふ男女の裸体の血の叫びを、そこに見る心地した。

 うんまあ、自分の結婚が早計だったとは言ってますが、本当に知ったと言えるのか澪子さん?
 まあでも、とうとうこの二人がキスしてる現場を守彦の叔母さんに見つかってしまったことで急展開。
 ここで不二子さんが偉い。お嬢さんお嬢さんではあるのだけど、ともかく純粋で、その純粋さで澪子さんを追いつめる訳です。

 女学校時代のようにピアノに合わせて歌い、

​「(……)でも――でも――澪子さんは、もう私を前のやうに仲よしの妹のやうな友達に思つてくださるかしら?」​

 澪子さんはその中に含まれてる思いを読みとって、

「(……)いとしいいとしい天にも地にもたゞ一人のお友達の優しいあなたを、もしも――もしも裏切るやうな私になつたら――その時は不二子さん、私は死にますわ……不二子さん、澪子を信じてくださいな、信じて――信じて頂戴、不二子さん!」
「(……)少女の頃から今に至るまで、渝らず捧げ交したこの女同士の友情を、世にも貴く珍らしく大事に誇つてゐた私ですのよ。私は誰が何んと言はうと、あなたを信じてよ」

てな応酬があってすぐ、澪子さんは荷物をまとめて伴家を出ていき、列車に乗る訳ですが。

 ……託児所の開設、翌日なんですが。
 保母さん、無しですか?
 アナタが言い出したことですが?

 と、思わず突っ込んでしまった訳ですよ。
 結構な費用も出ているのに、それも綺麗さっぱり無かったことに?
 つか、不二子さんが信じてるなら、そこで逃げるでなく、留まってあくまで固辞しましょうよ、守彦との仲を。
 つまりはやっぱり勝手に「これが正しい」と決めて、勝手に全てを放って行く訳です。
 
 澪子さんは元々そうではなかったかなーと。
 兄夫婦が居なかったら、そもそも仕事と子供は両立しなかったし、賢二が居なくなつた痕身を寄せるのはまずは兄夫婦だったし。
 仕事をくれ、作ってくれ、とせかし、それが実現する時に、理由はどうあれ、それを放っていく。
 女学校といい、仕事を何だと思ってるんだ一体。
 ……正直、このひとに教育されなくて、子供達、よかったと思います。ダブルスタンダードに苦しめられる子供になりゃせんかと心配になる。

 おはなしは列車を見送る不二子と守彦なんだけど、この追ってきた二人から受け取るのは、あくまで不二子のコートであり、澪子のために買ってくれた銀狐の襟巻きじゃあないのがミソ。

 だからさあ、逃げるくらいなら(りゃ

 ……まあ、たぶん延々それで自分を「悲しい境遇の女」として生きて行くんではないかと。
 やれやれ。

 なお今回の引用は昭和6年の新潮社刊。
 状態が決して良くないんで、確か2~3000円で買った奴。
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最終更新日  2019.02.20 18:48:41
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