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カテゴリ:サブカル我流評論
首尾良く間に合ったと言ってもいい。 さて、わたし自身良く映画を観に行く方なんだろう。 この前も池袋のシネマサンシャインの奴を観に行った秤だ。 それで今回も松本人志初監督作品の前売券も既に購入済みなんで、これからも行くつもりだ。 あとアメリカ映画だけど、あの300とかいうのも観に行きたいとも思ってる。 まあ無理だと思うけど。 今回の映画としての感想は、正直のところ、何だかなーと感じました。 いいに越したことはないのですが、やはり「限界」詰まり臨界点というのは超えられない若しくは到達出来ないのかなと。 こんな映画で良くもまあ、軍国主義の復活とか言えたもんだ。 悲惨さを伝えるなら、対抗馬?としてのパッチギ2とどっこいどっこいなんじゃないのか? 幾ら石原慎太郎が右とかそういう言われ方しても、まあこの映画自体あれこれ注文がついて紆余曲折を経て出来た訳だが、 これは石原自体もチェック若しくは了承しているし、況してや石原自身戦後派、おフランスらしくいうとアプレゲールとかってなんのか、 だからこそとも言い難いが、戦前戦中批判も腰を据えて当然行っているわな。 この前男達のYAMATOも放映されてたから見たが、これも単純に「悲惨」でしかない。 大東亜戦争が負け戦だったから、誉れ高きというものなんかないから、そればかりが前面に押し出されるのは致し方ない。 結局言葉と言うものが語れない儘半世紀以上経ってしまったことに起因するのだろう。 伝えることね。 悲惨さをクローズアップさせてもいい。 それでも当人達が遺して逝った思いを伝えることが出来ないものか。 生き残ったものが背負うものって、それが、疚しさや積み重ねの罪なんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.29 04:41:50
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