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2008.10.19
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そうか…そうだったのか、幼い頃より既に出ていたんだ。
父から女言葉使うなと咎められていた。
博多辯にも男女の区別があるのか。
そりゃ日本語だからそうした区別はあろうが、方言外にいる人間には全く解らん。

天下のNHKはモロにポリティカリコレクトの影響を受けるから、~辯ではなく、~ことばと改めさせられているようだ。
そういや、しずちゃんの出ていた乙女のパンチでは方言指導に関西ことばってなってたな。
関西辯じゃないのか…。

西日本の畿内に住む人達が使う抑揚のある独特の言葉がいわゆる「関西辯」だ。
しかし、大阪に住む人達は自らの言葉を大阪辯と呼ぶ。
実際は吉本辯だけど。

大阪外の人間も勿論大阪辯に似た方言を使うのだけれども、彼等は大阪出身ではないので「関西辯」という詭辯を使う。
本来は「大阪辯」というのはないのだそうな。

ちょっとずれたけど、KABA.ちゃんは自称もあたしだったのね。
向こうのお国言葉での自称はないのかなあ?

「ワシ」とか「オレ」とか「オラ」ならば方言の自称としてならば男女の区別無くともいいけどね。

ピンクレディーを女の子の友達と一緒に踊ってたのね。
そして空想の中では自分がアイドルとなって、コンサートを開いていたとは。
サインも練習してるし、この頃から志向はあったのか。

よく遊ぶ女の子の友達はKABA.ちゃんの様子には気付いていたのかなあ?

人間は中空に浮かんでいる「文化」と言う記号を生まれてから成長するまで(その後も、ってなると生涯学習みたいだな)掴み取って学んで、自らのモノにしてゆく動物とは違った社会的な生き物である。

KABA.ちゃんの「あたし」と言う自称もこれは「文化」の賜物なのである。
あたしとは勿論、わたし(私、わたくし、わたくしゅうする)の砕けた言い方である。
日本語には女言葉(女房詞)と言う伝統がある。

しゃもじ(しゃ文字、杓子の隠語)もそうだし、ひもじい(ひ文字の形容詞化、元は饑い、ひだるいの隠語)もそうだ。

古より日本は性の分化が進んでいたのだ。
そりゃそうだ。
平安時代見てもあんな絢爛豪華な衣裳なんてないよ。

わたし、と言うのは本来は自称ではない。
公に対して反対の意味として使われるものだ。

現在では公の場での自称としても使われる。

樺島家では父がKABA.ちゃんの友達(女友達)の母親と懇ろになっていた傍ら、母は近くの男の所へよく家出をしていたそうな。

女言葉を咎めていた割には、かなり放任ではあったようだ。
それでいてよく本人は心がねじ曲がらないなと思った。

恐らく、こうした環境がKABA.ちゃんの心を却って強くさせたいたからなのだろう。

ある意味、オカマの方こそ心が強いのだろう。

男ってのは、心が直ぐに折れてしまう。

女の方が不安定と思われるかも知れないが、逆。

男は個体では判り辛いのだが、全体を見渡すと多くの集団に於いて個体差の振幅が大きい。
極端に強い奴もいれば極端に弱い奴がいる。

女の場合は個体にして全てである。

詰まり、男の方が個性的なのだ。

オカマになるメカニズムは判って来ている様なのだが、脳味噌は個体差こそあれ、機能としてはよく判らない。

人間の心なんて未だ全てが解明されてないのだ。

体は男なのに心は女なのだ。逆もまた然り。

社会的な制約若しくは文化でジェンダーを決定付けてしまうのなら、オカマやオナベ、両刀使いなんてこの世には存在しなくなる。

言葉狩りで始めた積もりなのだろうが、これが逆効果になってしまわないだろうか?

状態を説明するのが飽くまでも言葉だ。

女は女らしくとか男は男らしくとか、フェミニン達はこれを嫌う。
ありのままの自分を選択出来るのだという自己決定権まがいの事を宣う。

それでも、脳味噌の都合で男なのに女の心を持ってしまったりする。
完全に女装したり、女言葉使ったり、女っぽく振る舞うという事なんてしない。

性の決定権って、この時点でもう存在しない。

マイノリティ(?)が出るとこういうテーマに沿わなきゃならんだろうなあ。





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Last updated  2008.10.24 17:43:17
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