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カテゴリ:未来社会へのプロセス
■組織の腐敗と頽廃 ●ハイエクの記述には次のような組織の腐敗と頽廃の必然性が明瞭には記述されていない。 ・長期に及ぶ権力の保有は、権力に群がる人々によって、権力者が必ず腐敗していく。このことにとって、様々な汚職が発生するようになる。 ・外部からの批判から閉ざされている組織は、組織構成員の目的(組織内での昇進、権力の拡大)が組織の目的に置き換わる必然性をもっている。手段であるべき組織自体の自己目的化である。堺屋太一氏はこれを組織の頽廃と呼んでいる。 ●つまり経済統制や独裁権力だけが腐敗や頽廃するのではなく、批判に晒されない全ての組織が腐敗や頽廃する必然性を持っているのである。 ■集散主義に何故流れるのか? ●ハイエクは次のように述べている。 言ってみれば、自由主義の成功こそが、逆に自由主義の衰退の原因になったのだ。というのも、自由主義のおかげで経済的繁栄を手に入れた人々は、逆にそのため、まだ存在してる不運や災害といったものにますます耐えられなくなり、それらは早急に解決可能だし、解決しなければならないと思うようになったのである ●そのような贅沢な思想が動機であったのだろうか? とんでもないことである。自由主義が社会的欲求を増大させたからではなく、資本主義の矛盾が社会主義やファシズムの土壌になったのである。 ●学者は思想や主義で社会の動きを理解しようとする。しかし庶民はもっと現実的な生活上のことで日々の選択を行う。資本主義で食えなければ、食わしてくれそうな社会主義やファシズムを受け入れるのは当然のことである。ハイエクは、集散主義に社会が向かったことに学者達にも罪があるということを言いたいらしい。原因をつくっているのは資本主義の矛盾であって、集散主義を称える学者の主張が原因ではない。 ●生きるためには、良いことも悪いことも行うということで、それを責められるものではない。生きるための本能が見かけ上、思想や主義を選択しているだけのことである。ハイエクの記述にはないが、性善説とか性悪説とかを社会の仕組みの原因に据えるような議論は愚の骨頂である。 ●ハイエクは次のように、ファシズムへの地均しをしたのは社会主義であるという。 …多くの人が信じている『社会主義の発展に対する資本主義の反動』という原因は、今述べた諸要因よりももっと問題とするのに足りないものである。事実は全く逆で、集散主義的な考え方を支持し、権力の場に立たせるようにした勢力は、社会主義の陣営そのものから発生したのである。集散主義者たちが権力を手に入れるのを助けたのはブルジョア階級では決してなかった。むしろ強力なブルジョア階級がドイツには存在していなかったという事情が、これを助ける一因となったのである ●しかし、その社会主義を生み出したのは資本主義そのもの、資本主義の矛盾が生み出したものではないか。従って、資本主義の矛盾が解決されない限り、繰り返し社会主義や国家社会主義も復活する。 ●アメリカの軍事力によって粉砕されたイラクのサダムフセインのような国家社会主義が登場したり、南米では、大半の国が社会主義を志向している。 ●ハイエクは資本主義=自由主義=民主主義という図式に天真爛漫でありすぎる。 ●人は、自由か統制かではなく、食えるか食えないかの選択の方が優先する。失業者に「人はパンのみにて生きるにあらず」なんてことを言っても、無駄な説法である。 ●自由によって人々の生活が順調であれば、計画や統制は求めない。計画や統制を求めるから、自由が無くなるのではない。生きていけないから、自由と引き換えに計画や統制を容認するだけのことである。 ●私には、ハイエクは生活に困っていない自由な知識人特有の思考であると思えるのだが。 ■社会システムとしての資本主義の問題 ●ハイエクは次のように言う。 ・私有財産は自由の最重要の基礎である。 …自由企業の体制は、必然的に私有財産と(必ずしも同じ重要性ではないかもしれないが)相続財産に立脚しているため、それらが作り出す機会には差があり、あらかじめ機会の不平等が存在するからだ。もちろん、このような機会の不平等は解消されていくべきだということは正しい。 確かに競争社会では、貧しい人に開かれている機会は、富裕な人のそれより極めて限られている。しかしそれでも彼らが、異なった形態の社会でもっと多くの物質的安楽を意のままにしている人より自由であることは、変わらず真実である。 ●ここには、資本主義=利潤追求動機の社会システムの非人間性の問題については、なんら触れられていない。人の幸福追求や環境保全動機を持たない資本主義は地球環境を止め処も無く破壊し続けている。資本主義とは資本の自由主義であって、人間にとっての自由主義ではない。 ●とはいうものの、下記の3つが人間的社会のための不可欠の要素であると考える点に関しては、私の考えとハイエクとは共通している。 ・市場 ・選択の自由 ・民主主義 ●私有財産がなければ「選択の自由」が制限されるということであって、ハイエクのいう「私有財産は自由の最重要の基礎である」には賛同できない。一代限りの私有財産には同意できるが、世代間の相続は機会均等の原則に背くことであるため賛成できない。 ●市場は不可欠だが利潤追求動機に基づく資本主義市場は人間的なシステムとは思えない。ハイエクにとって、市場とは資本主義市場しか知りえなかったのかもしれないが、減価貨幣や配当システムに基づく市場もあるのである。 ■南米の社会主義化の道理と危険性 ●今また南米の大半の国々で、資本主義では生きていけない人が拡大再生産されているために社会主義を選択しようとしている。ハイエクのいうような…自由主義のおかげで経済的繁栄を手に入れた人々は、逆にそのため、まだ存在してる不運や災害といったものにますます耐えられな…くなったからではない。 ●南米の社会主義化は、資本主義の枠内でのその欠陥や非人間性に対する補完としての意味にすぎないのだろうか? 社会主義への道を突き進むのであれば、これまでのものとは異なる民主的社会主義になるとのでは…という根拠は何もない。従って、南米の社会主義への道は、反資本主義(特に反ネオコン)ではあるが、ハイエクの言うような中央集権、統制社会への道に繋がるる可能性もある点には注意を払う必要がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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勉強していますね、今は、あまりお金にならない仕事を3つ4つしているもんで、落ち着いて勉強できていません。集散主義と言うのは、どこに出ていますかね。それはさておき、また素人的なコメントを入れます。権力の腐敗については、自分の経験からそのとおりであると思います。特に、経営者を見ているとそれを感じます。簡単に勘違いしてしまうのです。基本的に、経営者に向かない人が経営者になる例が多すぎる気もします。また、権力者が選挙で選ばれても、同じことでしょうね、なぜなら
選挙は、その人間の能力を測る手段としては、あまりいい手段でないような気がします。かといって、イスラムのような神権親授権もそれほど、受入れられませんが。続きは次に書きます。 (November 26, 2006 02:45:02 PM)
・市場
・選択の自由 ・民主主義 の3ッがあげてありますが、私もほぼ同感です。しかしどれも反省が必要であると思っています、早い話、無制限に首肯できる原則はあまりないと言うことです。例えば、選択の自由にしろ、ろくに内容を知らないものから見れば、ただのわがままを認めることになります。これは教育で、何とかなるとしてもです。それと、市場も問題があります。結局は詐欺師まがいに振舞う人間が、巨利を手にするシステムです。最後の民主主義ですが、選挙をみても喜んで奴隷になる人が居ます。奴隷としてでも、生きていたい人間が居たりします。結局は、原則はどれも信じるに足るものがないと言うことかもしれません。あまりこんなことを言うとアナーキーな考えになりますから、この程度にしますが。どうも、原則はどうも、このような中において、結構折衷とか、中庸とか、好い加減とか、ということの中にあるような気がします。結局はどれも突き詰められないということが、最近の気持ちなのです。 ハイエクは私も勉強して見ます。 敬具 (November 26, 2006 02:59:27 PM)
この言葉は、ハイエク言葉で、全体主義と同じ意味だと思います。
(November 26, 2006 10:12:57 PM)
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