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大正7年(1918)の7月12日、山口県徳山市(現 周南市)の沖合で、戦艦「河内」が爆発事故を起こして沈んだ。徳山湾に浮かぶ仙島の近くだったそうだ。この事故で、乗員1,059名のうち621名が死亡した。
河内は、九州方面で行われる演習に参加するために横須賀を発ち、途中の徳山湾で停泊中だった。右舷の1番砲塔付近で2度の爆発があり、約4分後に右舷の方に転覆、海上に艦底の一部を出したまま着底したという。 戦艦 河内は、明治45年3月31日に横須賀工廠で竣工した。排水量20,800トン、全長152.4メートル、出力25,000馬力、速力20ノットの新鋭艦だった。 イギリス海軍が、革新的な主砲配置と高速を誇る「ドレッドノート」を完成させ、以後列国がこれを追った。したがってこの種の大型艦を「弩級戦艦」といった。 しかし、「河内」は主砲の配置に問題があり、厳密な意味では弩級戦艦とは言い難かった。次の「金剛型」で初めて日本海軍に弩級戦艦が登場することとなった。 徳山湾には、仙島、蛇島、大津島(ここには人間魚雷回天の基地があった)があり、天然の良港となっている。徳山は、戦前は海軍の燃料廠があり、戦後は石油コンビナートで発展している。 昔、母に聞いた怪談じみた話がある。母も祖母か誰かに聞いたのだそうなので、本当のところは分からないが。 徳山湾は、昔からチヌ(黒鯛)がよく獲れることで有名だ。チヌという魚は、悪食な魚だ。つまり雑食というわけだ。戦艦 河内が沈没した後、漁師が徳山湾で獲れたチヌの腹を開けたら、人間の髪の毛が沢山出てきたという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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