カテゴリ:フィンドフォーン
日曜日にフィンドホーンから帰ってきました、
帰りの機内でもほとんど寝ず、帰ってきても頑張って夜まで寝なかったので 時差ぼけも無く、体と行動は日常生活に復帰しましたが、 まだまだ、心は非日常のフィンドホーンの余韻が残っています。 私が今回参加したのは、現地で長いことフィンドホーンに関わっている ゴーント・邦江さんのオリジナルの「スピリチュアル・アウェアネス」というリトリート。 体験週間を終えた人がより深く自分自身に向きあい気付きを深めるプログラム、 という感じでしょうか。 今回はパークのキャラバンに寝泊りし、すぐ側のシャレーという建物で食事をしました。 食事はもう10年近くこちらにいるという直美さんの美味しいご飯、 ベジ食やらマクロビ、毎朝の焼きたてパンに感激。 朝7時からの目覚めのエクササイズ、 その後メイン・サンクチャリーでの瞑想で一日が始まり、 その日のプログラム、「粘土をこねる感謝業」、「海岸でのアートセッション」、 「ムービング」、「ガーデン体験」、「コーリスニング」などをしていきます。 なかでも「24時間沈黙の業」は心に残りました。 しゃべるということはとっても大事な外とのコミュニケーション手段ではあるけれど、 それをしないことで、 自分の気が内に向かい自分自身としっかり繋がれるか、がよくわかった。 最初のセッションで引いた今回の私のエンジェルカードは「Release」、 何からの開放か? 物理的な親の介護、外からの役割や、日常のmustからの開放? それよりもなによりも、「自我からの開放」そんなことが沈黙から浮かんできた。 そうして、昨日たまたま読んだOSHOの言葉 いいかね 物事の外面的な現れと闘うのではなく 物事の根源へと向かいなさい そこにあるのはただひとつ―自我だ ひとたびあなたが、自我なしでだだ在ることを学べたら あなたがいなくなり、誰でもなくなり だだの無として在ることができたら 究極なるものが達成される それ以外に行き着くべき所はない それはいともたやすく成し遂げられる そもそも自我自体が虚構なのだから それゆえそれは落ち得る それは実体のあるものではない 架空のものであり、影なのだ あなたが信じ続けるかぎり、それは存在する だが深くそれを覗き込んだら、全く見つからないだろう 瞑想とは、ただ自我を深く探して内側を深く見据えること それがいったいどこにあるのか 自らの実存の隅から隅まで探し回ることだ それはどこにも見当たらないだろう それはどこにも見当たらないと理解した瞬間 それは消え去る、そしてあなたは生まれ変わる 「だだの無として在ること」が、いともたやすく成し遂げられるとは思えないけれど、 これらの言葉を心にとめて「Release」を感じていこうと思っています。 今回のグループのエンジェルカードは「Delight(大喜び)」。 プログラム中にお誕生日を迎えた人が2人もいました! カードの絵にもあるように直美さんの手作りケーキを囲んで、 二人の誕生日はもちろん、皆でフィンドホーンにいることを祝いました。 シェアしたいことはまだまだあるけれど、 なかなか文章で伝えるようにはまとまりません。 今は外へ発するより、沈黙の業の時の様に内に向かうことが大事なんだと思います。 せめて、Finの写真をアップしようと思ったら、USBケーブルが行方不明、困った!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.25 11:43:18
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