読書ニッキ 人はなぜ逃げ遅れるのか 広瀬弘忠
「人はなぜ逃げおくれるのか」広瀬弘忠 【送料無料】 人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学 集英社新書 / 広瀬弘忠 【新書】価格:735円(税込、送料込) 下はこの本の、個人的な意訳・・のようなかんじです。------------------------------------------------------- 災害の発生は回避できないとした時、人間社会にもたらされる破壊の規模を最小にするための防災・減災の手段、そしてどうしたら災害の被害を小さくすることができるかは私達の永遠のテーマ。命を守る。火事場のクソ力という言葉がある。生きたいという希望は、生理的に免疫力を活性化し、生き残る力を得る。そして愛情や役割や義務感などが生存への意思を高める。生きたいと願いあきらめないことは、生きのびるための必要条件。大事な命を守るにはまず「逃げ遅れないこと」過去の、大災害や事故のデーターによると、災害時に人々は、映画のようにすぐパニックにはならない。たいていはその場で立ちすくみ、その災害の「傍観者」になってしまう。その結果、逃げ遅れる傾向があることを知っておくこと。傍観者にならないこと、逃げおくれないこと。 命が助かったら。日本語には英語のサバイバー(生き残り)に該当する言葉がない。災害や病気や事故から生き残ったときに使われ、また自らが「サバイバー」であることを誇る気持ちに通じる。事故や災害から生き残った人を「被害者、被災者」と呼ぶことはあっても、自らや他者から「サバイバー」と呼ぶことも呼ばれることも無く、あくまで「ヒガイシャ」。 日本人の性格や、文化とも関わりがあるが「生き延びた罪」のようなものも感じさせてしまう。「まだ、これが残っている」と考えるよりも「もう、これだけしか無くなった」と考えてしまう傾向がある。「コップの水が半分こぼれた」ら「半分もこぼれた」と感じるか「こぼれたけど半分で済んだ」と感じるかの違いのようなもので、生き伸びたり助かったことを「罪悪感」にとらわれるか「サバイバー」と、とらえるか。罪悪感で悲しみ苦しみが深くなり回復が難しくなる。素直に助かったことを喜べてもよい。 日常に戻る。災害を生き延びたなら、その中では非常時規範(⇒「災害心理学」でいう)という特殊なルールが発生する。非常時規範では、被災が大きかったものに、被災の少なかったものが手を差し伸べようとする=強者が弱者に手をさしのべ、助けあう行動が見られる。弱肉強食の逆。その規律に基づいて、困難な状態を切り抜けようとする。しかし非常時規範は長くは続かない。間もなく次の試練がやってくる。"日常"の"社会規範"は厳しい。早いスピードで、 "日常の社会規範"が非常時と切り代わろうとする。非常時から日常に戻る際の適応能力の差が、その後を左右する。 適応していこうとする人間。大災害では身近な環境をはげしく変えてしまうが、人はその変化に適応していかなければいけなくなる。自然災害によって「社会システム」も被災する。被災していない外部の社会から十分な援助をすぐ受けられるかどうかは被害の規模によっては難しい。そして大災害であるほど、それまでの社会システムの欠点をクローズアップして映し出す。人は対処するために知恵で歯車の回転を一歩進める。そして、前進しその成果を普遍化して利用しようとしても、その努力に(または場合によっては「度を超してしまう努力」によって)また、新しい病気や災害が発生する。これは避けられない永遠のことであるが、その一方でまた人間は好奇心と知恵をもって制御し、適応するすべを身につける努力をする。