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いよいよクルーズ後半のヴォルゴグラードをご案内します。
ヴォルゴグラードはかつてスターリングラードと呼ばれていましたが、フルシチョフが 首相になって、批判され、1961年にヴォルガ河の町、ヴォルゴグラードになりました。 しかし、年5回の記念日(スターリングラード攻防戦が始まった日、終わった日など) には、スターリングラードを名乗っています・・・いささか、ややこしい・・・ 現在、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた共通性で広島と姉妹都市になっています。 街には、広島の原爆ドームのようなモニュメントが残っています。 写真は旧製粉所。この隣が戦争博物館になっています。 (Wikimedeaより) (戦争博物館内のジオラマ展示・・・Wikimedeaより) もう一つは激戦の丘・ママエフ・クルガン(ママイの墳丘墓の意)にに建つ母なる祖国像 (1967年設立)や戦士の墓やモニュメントで飾られた複合施設になっています。 (スターリングラードのシンボル、母なる祖国像・・・撮影:筆者) ママイの丘はスターリングラードを見下ろす高台にあり町のの先にはヴォルガ河も見渡せ、、 ここを奪回するのは双方にとっての最重要ポイントでまさしくここから攻防が始まりました。 1942年9月から約半年続き、ソビエトは絶え凌ぎ、死守しました。 北レニングラード攻防戦と合わせ、ソビエトの2大攻防戦となっています。 (栄光の戦士ホール。衛兵の交代があります。撮影:筆者) (母なる祖国像を望むモニュメント群・・・撮影、筆者) (もう一枚のモニュメント・・・撮影:筆者) 戦士ホールを出たところで、広島合唱団の指揮者の高田龍治先生の音頭でうたった ”けし”が忘れられない・・・明日、facebookでご紹介しますが今日はその歌詞を ご紹介します。 けし ポジェーニャン作詞(合唱団 白樺訳詞) フェジュニンスキーの丘よ ママイの高い丘よ 夢は戦火に破られ ふたたびかえらない 誰にもときは流れ いくとせ河も流る けしの花は変わらず 人は旅立とうとも 赤いけしの花、大地の思い 戦いに荒らされずに 荒らされずに咲く この丘に 今も お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.11 11:25:31
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