477646 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

EYASUKOの草取り日記

EYASUKOの草取り日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

EYASUKO

EYASUKO

Calendar

Favorite Blog

ミイのマグカップ♪ … New! こはる2957さん

介護は刻々変化する New! pippi2003さん

ばってん☆日記 ばってん☆日記さん
ほにゃちん日和 MIRLINさん
ウエストエンドのぶ… マダム・オルガさん

Comments

Burnet@ お世話になりました EYASUKO さん 16年間のブログ生活でしたが…
Burnet@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) EYASUKO さんも哀しい思いをされていたの…
EYASUKO@ Re[1]:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) まりえ5182さん、暖かいお言葉をありがと…
まりえ5182@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) 思わず涙ぐみました。ゆきちゃんの写真は…
EYASUKO@ Re[1]:祖国への愛に生きて:ムハ「スラヴ叙事詩」(05/15) pippi2003さん お久しぶりです。 アール…

Freepage List

Headline News

2008.05.17
XML
カテゴリ:

12月26日に始まったこの旅行記が、こんなに長いものとなるとは

夢にも思いませんでした。

なんと、途中の中断を入れても、4ヶ月くらい中欧3ケ国の旅に費やした事になります。

それほどに、豊穣な旅でした。

終わりに思うことは、ハプスブルグ帝国とは、多民族国家で

その領土は、いまのEUの枠組みの半分くらいを占めていた、ということです。

これにブルボン、プロイセンが合流して

一大ヨーロッパ連合ができあがったということでしょうか。

しかし、EUという枠組みができるまでには

幾多の戦いが繰り返されてきました。

数年前ベルギーとフランスを旅したとき

各地で戦史博物館を巡ったことがありました。

そこに保管されている武器の多さに驚いたものでした。

ことほどさように、多くの戦いがあったのです。

平穏なイメージのあるマリア・テレジアの治世でさえ

彼女が大公位につく為のオーストリア継承戦争ほかの大きな戦争が存在しました。

各国が拮抗し、それぞれの勢力拡大にしのぎを削った時代でした。

このいがみあう勢力の再編を目論んだのが、だれあろうナポレオンでしたが

この不世出の英雄も

結局、戦争の世界を生きることに生涯を費やしてしまいました。

まさに、「平和」を希求した、「戦争」の世紀だったかもしれません。

こうして、絶対王政といわれた王侯貴族の時代は終わっていきました。

皮肉なことに、ウィーンの現在の建物の多くは

19世紀末から20世紀にかけて建てられたものだといいます。

絶対王政の残滓であったのです。

その象徴として、フランツ=ヨーゼフ1世の治世は存在したのかもしれません。

「たそがれのウィーン」という映画がありました。

今のウィーンは、東西冷戦の緩衝地帯であった頃の面影はありません。

ただ、ひたすら夢の残滓のように

かってのハプスブルグ帝国の栄光を語ってくれる街となっています。

長々、わたしの旅にお付き合いいただきましたことに御礼申し上げるとともに

この夢の残滓を多少なりともお伝えすることができていたら

望外の喜びです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.05.18 00:37:31
コメント(16) | コメントを書く
[旅] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.