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カテゴリ:旅
12月26日に始まったこの旅行記が、こんなに長いものとなるとは 夢にも思いませんでした。 なんと、途中の中断を入れても、4ヶ月くらい中欧3ケ国の旅に費やした事になります。 それほどに、豊穣な旅でした。 終わりに思うことは、ハプスブルグ帝国とは、多民族国家で その領土は、いまのEUの枠組みの半分くらいを占めていた、ということです。 これにブルボン、プロイセンが合流して 一大ヨーロッパ連合ができあがったということでしょうか。 しかし、EUという枠組みができるまでには 幾多の戦いが繰り返されてきました。 数年前ベルギーとフランスを旅したとき 各地で戦史博物館を巡ったことがありました。 そこに保管されている武器の多さに驚いたものでした。 ことほどさように、多くの戦いがあったのです。 平穏なイメージのあるマリア・テレジアの治世でさえ 彼女が大公位につく為のオーストリア継承戦争ほかの大きな戦争が存在しました。 各国が拮抗し、それぞれの勢力拡大にしのぎを削った時代でした。 このいがみあう勢力の再編を目論んだのが、だれあろうナポレオンでしたが この不世出の英雄も 結局、戦争の世界を生きることに生涯を費やしてしまいました。 まさに、「平和」を希求した、「戦争」の世紀だったかもしれません。 こうして、絶対王政といわれた王侯貴族の時代は終わっていきました。 皮肉なことに、ウィーンの現在の建物の多くは 19世紀末から20世紀にかけて建てられたものだといいます。 絶対王政の残滓であったのです。 その象徴として、フランツ=ヨーゼフ1世の治世は存在したのかもしれません。 「たそがれのウィーン」という映画がありました。 今のウィーンは、東西冷戦の緩衝地帯であった頃の面影はありません。 ただ、ひたすら夢の残滓のように かってのハプスブルグ帝国の栄光を語ってくれる街となっています。 長々、わたしの旅にお付き合いいただきましたことに御礼申し上げるとともに この夢の残滓を多少なりともお伝えすることができていたら 望外の喜びです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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