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EYASUKOの草取り日記

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Burnet@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) EYASUKO さんも哀しい思いをされていたの…
EYASUKO@ Re[1]:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) まりえ5182さん、暖かいお言葉をありがと…
まりえ5182@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) 思わず涙ぐみました。ゆきちゃんの写真は…
EYASUKO@ Re[1]:祖国への愛に生きて:ムハ「スラヴ叙事詩」(05/15) pippi2003さん お久しぶりです。 アール…

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2008.07.23
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カテゴリ:

ハイドシェック米沢公演の話から、米沢の旅のご紹介をしたところ

和歌山在住のしげやんさんから

藤沢周平の「漆の実のみのる国」や

童門冬二「上杉鷹山の経営学」のご恵贈を受け

もっか読んでいるところである。

その中でひとつ気になることがあり、ここに記します。

先日、上杉神社のご紹介をしたが、

神社脇に宝物殿があり、藩祖上杉謙信の被った頭巾や

来年はたびたび登場するであろう直江山城守の「愛」の字の前立てのある兜

その他上杉家にゆかりの文物が展示されているのだが、

この宝物殿を出たところに

「赤穂事件顕彰碑」なるものが設置されていた。

そういえば、赤穂事件の敵役の吉良上野介の息子が米沢藩5代目の上杉綱憲である

この人の罪ではないが、この綱憲が米沢藩を継ぐときに、

跡目相続の不手際から米沢藩は30万石を半分の15万石に減らされている。

そこへ持ってきて、この殿様領民より実家の父親の方が大事とばかりに

高価な茶道具などの購入費用などの父からの無心に

せっせと仕送りなどしたとのことで、家中の評判はすこぶる悪かったそうである。

また、綱憲が上杉家に養子に入った後、今度は吉良家の跡継ぎが亡くなってしまい

綱憲の次男が上野介の養子となっている。

吉良上野介は「高家」という役職で

勅使に関するしきたり、作法をとりしきる仕事であって

格式は高いが、実際に召し使っている侍などはあまりいなかったそうである。

そこへ勃発したのが、浅野内匠頭による刃傷事件

それに起因して主君の恨みをはらすべく旧赤穂藩の浪士が決起したのが

いわゆる赤穂事件、「忠臣蔵」として有名な話である。

このとき、吉良家の警備に当たっていたのが

先に養子について吉良家に入っていた旧米沢藩士たちで

多くは、浪士たちと戦って亡くなっている。

この旧米沢藩士たちを称えたものが、この顕彰碑なのである。

戦前の風潮から赤穂浪士の武勲は称えられたが

この米沢藩士たちの武勲をたたえることは憚られていて

この顕彰碑が出来たのは、戦後のことであったという。

「忠臣蔵」の話は広く世にもてはやされているが

その対極として

君命に従い、徒に命を散らした人々がいたことを惜しみ、

その事実を後世に伝えたいという

米沢の人々の深く、持続する志があったことに思い至り

物事には表裏二面のあることを深く考えさせられた出来事であった。






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Last updated  2008.07.23 23:49:14
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