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2024.03.25
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 先日仕事で遠方から大学教授に来社してもらった。その時に一緒に行動した大学院生が、お父さんをいろいろと驚かせてくれた。今回はそのことについて書いてみようと思う。

 

 2日間の日程で打ち合わせをするために来社してもらったのだが、初日ですべて案件が片付いたので、2日目はお父さんが2人に地元の観光地を案内した。といっても東北の田舎にそんなに観光する場所があるわけでは無い。特に3月はまだ雪が残っている季節である。夏であれば少しは楽しめる場所も冬に行くところではない。

 

 結局お寺と酒蔵を案内して、昼食にそばを食べてもらい電車に乗せることにした。最初に訪れたお寺は、昔ながらのお寺で本堂以外にいくつかのお堂が建っている。お父さんと大学教授はもう20年以上の知人なので、それなりに気を使いつつも仲良く話ができるのだが、学生は初めての「接待」で少し緊張していたのかもしれない。

 

 まず驚いたのが、お寺でお参りをしたのだが、学生さんはお賽銭も出さず、手も合わせずで我々2人がお参りするのを見ていただけだった。文殊菩薩のお堂があったので、頭がよくなるようにと50歳を越えたおっさん二人が手を合わせる中、学生さんはやはりただ見ているだけだった。

 

 おみくじを引いた時も、学生さんは「引かない」と拒絶していた。社会人ならば、接待を受ける側もそれなりに気遣いはするので、お参りもきちんとするし、おみくじもノリで引いてくれる。だが彼は頑として拒絶し続けた。

 そこでお父さんはある可能性に気付いた。ひょっとすると特定の宗教の信者なのではないかと。宗教によっては他の宗教にお参りすることを否定しているモノもある。もしそうだったならお寺を案内したのは選択ミスだったと思ったのだ。

 

 思い切って本人に聞いてみたが、「そなことはないです」とすぐに否定された。教授も同じ思いがあったようで、「どうして手も合わせないのか」と聞いたら、「財布を車に置いてきたので、お賽銭がなかった」と答えた。お賽銭がなくても手を合わせて祈ることぐらい問題ないのにと言うと、そうなんですかと淡々と答えるだけだった。

 お父さんと11ならお金を貸してとは言えないだろう。でもいつも一緒に研究室にいる自分の先生になら、財布を置いてきたことぐらいは言えるだろうと思うのだが、今はそんなことを言うこともできないのかと不思議だった。

 

 酒蔵を見学したときは、おかしな言動があったわけでは無いが、とにかく無表情で、楽しいのかつまらないのか発言もしないので謎のままだった。

 

 最後にそば屋で食事をしたのだが、ここでもお父さんにとっては衝撃的なことが起きた。田舎のそば屋なので量が多い、さらに大盛が無料なので、3人ともざるそばの大盛を頼んだ。ところが届いたそばは想像よりはるかに多く、且つそばつゆがそばの量に対して少なかった。

 当然食べているうちにそばつゆが無くなってしまい、お父さんと教授はそばつゆを追加で頼んだ。店の人も普通に追加で持ってきてくれた。

 

 学生の彼も同じ量を食べていたので、そばつゆは大丈夫かなと思っていたのだが、普通に食べていたので、上手につゆを使っているのだと勝手に思っていた。

 結局お父さんと学生さんは大盛を食べきったが、教授は食べきれずに学生さんに残りを食べてくれるように頼んだ。断るかと思ったら以外にあっさりと受け入れて、教授が残したそばを食べ始めたのだが、そこで教授が「つゆはまだあるのか?」と尋ねた。

 そして答えは「とっくに無くなっています」だった。目の前でお父さんも教授もそばつゆを追加しているのに、彼は追加を頼むより、つゆ無しで食べることを選択したようだ。

 

 ところが驚いた教授が店員につゆの追加を頼むと、普通に受け取って食べ始めた。緊張していたという話ではなく、単純にコミュニケーションを誰かととるのが嫌いもしくは苦手なのだろうとようやく思った。無表情でいるのも話しかけられないための手段の一つなのだろう。

 

 最近はこういう人がいても、周りも普通に受け入れるのだとお父さんは思い知った。でも社会人になったら苦労するだろうとは思う。

 子供たちがよく、知らない人と話すのが苦手というが、そんなのはほとんどの人が苦手である。それでも必死で会話するのが人間の常識だと思っていたのだが、どうも今は常識ではないようだ。場の雰囲気がかえって悪くなっても会話しないことを選ぶ人がいるようだ。我が家の子供達は大丈夫だろうか。






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最終更新日  2024.03.25 00:10:10
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