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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
先日子供が生まれたばかりの同僚と出産までの話をしていて、自分の子供達の出産の事を思い出してしまった。長女が生まれて20年以上経っているので、だいぶ忘れてしまっているが、3人の子供が生まれた時のことを書いておこうと思う。これ以上忘れないうちに。
第一子妊娠の一報は会社にいるときに携帯のメールにやってきた。生理が遅れているので念のために産婦人科に行くとは聞かされていたが、メールで妊娠を知らされた時には何が起きたか、というかどういう感情が正しいのかと悩んだことを覚えている。
よくテレビドラマやマンガで、妊娠がわかった瞬間に夫が大喜びしたり、涙を流したりするのを見ていたので、自分もうれしかったり感動したりするのかと思っていたが、そういうあふれるような感情が無いことに驚き戸惑った。 とりあえずその日は残業もせず会社を出て、どうしてよいかわからないのでお母さんにフルーツやお菓子を買って帰ったのを覚えている。
家に帰って見せられたのは、超音波写真でゴマ粒のような胎児だというものが移っていた。お母さんが妊娠したことは理解できたが、やはり父親としての実感とか感動は無かった。どうしたらよいかわからないというのが本音だった。 ちなみにゴマ粒のような写真から、長女が生まれるまでの間、お父さんもお母さんも長女を「ゴマちゃん」と呼んでいた。本当の名前が決まるまで、ずっとゴマちゃんだったと記憶している。
お母さんが長女を生んだ病院は9割が無痛分娩という麻酔を使って痛みを感じない出産方法を推奨している病院だった。お母さんも最初は無痛分娩を望んだのだが、無痛分娩は帝王切開と同様に「産む日(誕生日)」をあらかじめ決めて実施される。 頭が古いお父さんもお母さんも、誕生日を自分たちで決めることに抵抗があるというそれだけで、普通分娩にすることにした。母体には負担がかかるのだが、お母さんも誕生日を意図的に決めるのは嫌だということで、夫婦の共通意見としての結論だった。
さてお父さんもお母さんもお父さんの立ち合い出産を希望したため、お父さんは妊婦や出産のことを勉強するために病院が実施する講習を受けなくてはならなかった。仕事の合間を縫って2回か3回講習を受けた記憶がある。 あまり覚えていないが、いろいろと勉強をしたし、救命の実習もした。その中で、男性の妊婦体験というものがあった。
出産前の妊婦の体重増加分をオモリとしておなかに巻いて、妊婦がいかに体が不安定になるのか、また起き上がりなどの動作が大変であるかを男性に認知させる目的で実施される。お父さんは実はこれが結構楽しみであった。実際にオモリを体に巻いた時はおなかにくるずっしり感に驚いたことを覚えている。
そのまま横になって、起き上がる動作をやらされた時にちょっと問題が起こった。周りのお父さんたちが起き上がれずに苦労しているのに、お父さんは間違えてスッと立ち上がってしまったのだ。確かにオモリは重かったのだが、起き上がるのに苦労するほどではなかった。お母さんはあっさり立ち上がったお父さんを見て、「ああ、この人はダメだ」と思ったらしい。その場でも「可愛げがない」と言われた記憶がある。
しかしながら、オモリは10キロ強ぐらいだったと思うが、当時のお父さんの体重は85キロぐらいである。体重に対しての重りの比率は12%弱である。一緒に参加していたお父さんたちは、痩せている人が多かった。もし体重が70キロだとすれば比率は14%強、体重が60キロなら17%弱である。 お父さんの体重からしたら、10キロはそれほどの増加に当たらない。多少重いなと思っても、起き上がったり歩いたりするのができないレベルではなかった。 ちなみにお父さんは今でも、他のお父さんたちも起き上がれない演技をしていたのではないかと思っている。お父さんより筋肉がたっぷりついている消防士のお父さんまで起き上がれないでいたので。要救助者を担いで走るぐらいの訓練をしている人が、10キロの重りで起き上がれないなど納得がいかない。
夫婦ともに手探りの状態だったが、長女の妊娠中は二人で試行錯誤を繰り返して楽しみ半分、心配半分で過ごしていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.04 00:10:11
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