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2024.05.07
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 長男は、長女が生まれてから4年弱が過ぎてから生まれた。その間一度お母さんは妊娠していたが、長女の川崎病と重なりうまくいかなかった。それもあって、久しぶりの出産になったのだが、長女の世話にかまけていて、長男の妊娠期間中がどうだったのかはほとんど記憶にない。

 

 長女の時は、着床したばかりの超音波画像がゴマ粒のようだったので、妊娠中は「ゴマちゃん」と呼んでいたが、長男の場合は男の子と判明してから「コチンコ」と名付けられていた。理由は言わなくてもわかるだろう。

 お母さんはつわりなどもあったが、妊娠したとき長女は3歳で手がかかり、とてもゆっくり妊婦生活を満喫する余裕はなかった。

 

 そんなわけで、長男はお母さんの実家に里帰りする、いわゆる里帰り出産で生まれた。そのせいもあって、余計に長男の妊娠期間の事は覚えていない。長男を妊娠したときお父さんたちはアパートの2階に住んでいたので、階段の上り下りなど危険と考えて、かなり早くから里帰りしていたような気がする。

 

 長女の出産は破水から始まったので、予定日より早かったのだが、長男は3週間近く予定日より遅れて生まれてきた。2人目以降は予定日より早く生まれやすいと聞いていたのだが、長男はよほどお母さんのおなかの中が気に入っていたのだろう。なかなか出てこようとしなかった。

 

 お父さんがいないので、お母さんの父親(おじいちゃん)が、24時間動けるようにと準備していてくれた。毎晩晩酌が欠かせない人であったのに、予定日前からどころかお母さんが里帰りしてから1滴も酒を飲まなくなったそうだ。

 長男が生まれた後も、何かあった時のためにと禁酒を続けてくれた。本当に感謝している。実際におじいちゃんが出動することはほとんどなかったのだが、何かあっても大丈夫と思えるのは心強いモノである。

 

 長男の時もお父さんは立ち合い出産することにしていたので、講習などを受けるのかと思っていたら、特に何もなく、当日分娩室に入るだけでよいと言われた。病院によっていろいろちがうものなのだと思った。田舎の方が緩いのかもしれない。

 

 予定日を過ぎてから、弱い陣痛が来たという情報で、お父さんは2回ほどお母さんの実家へ向かったが空振りだった。高速を使っても片道3時間ほどかかるので、出産に間に合うのか不安に思いながら運転したのだが、2回ともお父さんが到着するころにはお母さんは自宅に戻っていた。

 

 3回目の呼び出しの時、もう予定日をだいぶ過ぎているので無理にでも産ませるという情報をもらってお父さんは病院に向かった。しかしながら陣痛はまたもや消えてしまい、お父さんが到着してから陣痛促進剤(飲み薬)を処方された。

 本来なら促進剤を使うと陣痛が来るはずなのに、それでも長男はおなかの中にいたかったのかなかなか陣痛は始まらなかった。

 

 医師からの「今日産ませる」の言葉を信じてお父さんだけでなく、おじいちゃんとおばあちゃん、長女も病院に来ていた。15時過ぎにお父さんも医師に呼ばれて、3回目ぐらいの陣痛促進剤を使用するが、これで陣痛が来なかったら今日はあきらめると言われた。1時間ぐらい経過した午後4時ごろ、陣痛が来ない為今日はあきらめて、明日再度挑戦するという話をされた。

 

 お父さんはすぐに控室で待っている祖父母に、「今日はダメです。今から帰りますので準備をお願いします。」と伝えに行った。伝え終わってもう一度お母さんのいた部屋に戻ると、お母さんの姿がなかった。トイレにでも行ったのかと思っていたら、看護士が来て「お父さん、生まれるから分娩室へ来てください。」と突然言われてしまった。

 

 お父さんが祖父母のところへ行っていた15分ぐらいの間に、突然強烈な陣痛が来たらしい。おそらく今日は終わりだと思った瞬間に、お母さんの気が緩んで陣痛が始まったのではないかと思う。今でも理由はわからない。

 

 分娩室に入ると、すでにお母さんは分娩台の上でいきんでいて、今にも生まれそうな状態だった。とにかくお母さんの頭のところに行って、励ますでもなく見ていた。何か言うとするとお母さんに「黙っていろ」と言われるのだから、黙って見ているしかなかった。

 

 息子は検査では言われていなかったが、いざ生まれる瞬間になるとかなり大きくなっていたらしい。予定日をかなり過ぎていたこともあり、通常の赤ちゃんより大きいと出産中に医師に言われた。お母さんが何度かいきんでいる最中に、普通のサイズだったらとっくに生まれているのにという看護士の言葉で、お母さんは一気に気力が落ちたらしい。

 

 

 それでも分娩室に入ってから30分ぐらいで息子は生まれた。髪の毛も産毛もたっぷりで毛むくじゃらだというのが第一印象だ。長女は髪の毛が薄く、3歳ぐらいまで女の子だと見た目でわかるような髪型ができなかったので、驚いた。

 泣き声も長女に比べると大きく、とても元気な赤ちゃんだった。出産で顔がむくんでいたせいか、妖怪「あぶらすまし」に似ていると思った。お母さんに話したら、「なにそれ」と言われたのだが、後日病院のパソコンで妖怪あぶらすましの画像を見せたら納得していた。

 

 出産時に言われた通り、新生児室で息子は一番大きかった。鳴き声も大きく、息子がなくとある程度距離があるお母さんの部屋まで聞こえていた。息子は生まれた時から元気だったが、その後も病気もまるでなく健康過ごしている。昨年夏にコロナに感染して熱を出したのが初めての寝込んだ経験ではないだろうか。

 

 長男は首が座るのも、立つのも、歩くのも驚くほど早かった。スポーツ選手になったらすごいのではと思っていたが、精神がヘタレであり、いまだにスポーツでは試合が嫌いとか言っている。心技体すべてそろうというのは難しいのだろう。心も技も後から何とかなるが、体だけは生まれ持ったものが大きく影響する。せっかく体に恵まれているのにもったいないと思うが、まあ出産とこの話は関係ないのでこの辺にしておこう。






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最終更新日  2024.05.07 00:10:13
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