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2008年08月03日
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カテゴリ:剣の巻
20080803

(長谷部信連/画像は穴水町公式HP
 http://www.town.anamizu.ishikawa.jp/index.jspより)


さる程に、宮は五月十五夜の雲間の月を詠(なが)めさせ給ひて、
何の行方も思(おぼ)し召し寄らざりけるに、
三位入道の使者とて、文持つていそがしげに出(い)で来たり。
宮の御乳母子(おんめのとご)、六条の亮大夫宗信、
これを取って御前へ参り開いて見るに、
「君の御謀反すでに顕われさせ給ひて、土佐の畑へ遷し参らすべしとて、
官人どもが、別當宣を承つて御迎ひに参り候。急ぎ御所を出でさせ給て、
三井寺へ入らせおはしませ。入道もやがて参り候はん」
とぞ書かれたる。

宮はこの事ははいかがせんと、さはがせ思し召し顕はせ給う所に、
宮の侍に長兵衛尉長谷部信連(ちやうひやうゑのじょうはせべのぶつら)と云ふ者あり。
「ただ何の様も候まじ。女房装束に出でさせ給ひて、
落ちさせ給ふべうもや候ふらん」と申しければ、
「この儀もつとも然るべし」とて、御髪を乱り、重ねたる御衣に一女笠をぞ召されける。
六條の亮大夫宗信、傘持つて御供仕る。

鶴丸といふ童(わらべ)、袋に物いれて戴いたり。
青侍が女を迎へて行くやうに出で立たせ給ひて、
高倉を北へ落ちさせ給ふに、大きなる溝のありけるを、
いと物輕う越えさせ給へば、道行き人がたち留りて、
「はしたなの女房の溝の越えやうや」
とて、怪しげに見参らせければ、いとど足早にぞ過ぎさせぞおはします。


御所の留守には、長兵衛尉長谷部信連をぞ置かれける。
女房達の少々おはしけるをば、かしこここへたち忍ばせて、
見苦しき物あらばとり認(したた)めんとて見る程に、
さしも宮の御秘蔵ありける小枝と聞こえし御笛を、
常の御所の御枕に、取り忘れさせ給ひたるをぞ、
立ち帰つても取らまほしうや思し召されけん、
信連、これを見付けて、
「あなあさまし。さしも君の御秘蔵の御笛を」
と申して、今五町が内に追つ着いて参らせたり。

宮斜めならず御感あつて、
「われ死なば、この笛をば御棺にいれよ」とぞ仰せける。
「やがて御供に仕れ」と仰ければ、信連申しけるは、
「ただ今あの御所へ官人どもが御迎へに参り候ふなるに、
人一人も候はざらんは、無下に口惜しう存じ候。
その上、あの御所に信連が候ふと申すをば、上下皆知つたる事にて候へ。
今夜候はざらんは、それもその夜は逃げたり、など云いはれん事、
口惜しく候べし。弓矢取る身は、仮にも名こそ惜しう候へ。
官人どもに暫くあいしらひ、一方打ち破つて、やがて参り候はん」
とて、ただ一人取つて返す。
信連がその夜の装束には、薄青の狩衣の下に、萌葱匂の腹巻を着て、
衛府の太刀をぞ帯びたりける。
三條の總門をも、高倉表の小門をも、共に開いて待ちかけたり。


案の如く、源大夫判官兼綱、出羽判官光長、都合其勢三百余騎、
十五日の夜の子の刻に、宮の御所へおし寄たる。
源大夫判官は、存ずる旨ありと覚えて、はるかの門前に控へたり。
出羽判官光長は、乗りながら門の内へうち入れ、
庭に控へ、大音聲を揚げて、
「宮の御謀叛すでに露れさせ給ひて、土佐の畑へ移し参らせんが為に、
官人どもが別當宣を承つて、ただ今御迎ひに参りて候。とうとう御出で候へ」
と申しければ、信連大床に立つて、
「當時は御所でも候はず。御物詣でで候ぞ。何事ぞ、事の子細を申されよ」
と云ひければ、出羽判官、
「何でう、この御所ならでは、いづくへか渡らせ給ふべかんなるぞ。
その儀ならば、下部ども、参りて捜し奉れ」とぞ申ける。

信連重ねて、
「物も覺えぬ官人どもが申し様かな。
馬に乗りながら門の内へ参るだにも、奇怪なるに、
下部ども参つて捜し奉れとは、いかで申すぞ。
長兵衛尉長谷部信連が候ふぞ。近う寄つて過ちすな」とぞ云ひける。
廳の下部のなかに、金武と云ふ大力の剛の物、打物の鞘を外し、
信連に目をかけて、大床の上へ飛び上(のぼ)る。
これを見て、同隸ども十四五人ぞ續いたる。
信連、これを見て、狩衣の帯紐ひき切りて捨つるままに、衛府の太刀なれども、
身をば心得て作くらせたるを抜き合せて、さんざんにこそふるまうたれ。
敵は大太刀・大長刀でふるまへども、
信連が衛府の太刀に切り立てられて、嵐に木の葉の散るやうに、
庭へさとぞ下りたりける。五月十五夜の雲間の月の、
顕れ出でて明かりけるに、敵は無案内なり、信連は案内者にてありければ、
あそこの面廊に追つかけてははたと切り、
ここの詰(つまり)に追つ詰めては、ちやうと切る。

「いかに、宜旨の御使をばかくはするぞ」と云ひければ、
「宜旨とは何ぞ」とて、太刀曲(ゆが)めば躍(おど)り退(の)き、
推(お)し直し踏み直し、矢庭によき者ども十四五人ぞ切り伏せたる。
その後は太刀の鋒三寸ばかりうち折れて捨ててげり。
腹をきらんと腰をさぐれども、鞘巻落ちてなかりければ、力及ばず、
大手を廣げて、高倉表の小門より跳(はし)り出でんとする所に、
大長刀持ちたる男一人寄りあひたり。信連長刀に乗らんと飛んでかかるが、
乗り損じて、股を縫ひ様に貫かれて、心は猛く思へども、
大勢の中に取り籠められて、生捕にこそせられけれ。


其後御所中に乱れ入りてさがせども、宮は渡らせわ給はず。
信連ばかり搦めて、六波羅へ率いて参るる。
前右大将宗盛の卿、大床に立つて、信連を大庭にひき居(す)ゑさせ、
「まことにわ男は、宣旨の御使と名のるを、宣旨とは何ぞとて切つたりけるか。
その上、廳の下部ども、多く刃傷殺害したんなれば、よくよく糾問して、
事の子細を尋ね問ひ、その後河原に引き出いて、頭を刎ねよ」
とぞ宣ひける。

信連元より勝(すぐ)れたる剛の者なれば、居直りあざ笑つて申しけるは、
「この程あの御所を、夜々(よなよな)物の窺い候ふを、
何でふ事あるべきと思ひ侮って、用心も仕らぬ處に、
鎧うたる者どもが二三百騎うち入つて候ふを、
何者ぞと尋ねて候へば、宣旨の御使と申す。
當時は諸國の窃盗・強盜・山賊・海賊など申す奴ばらが、
或いは公達(きんだち)の入らせ給ふぞ、
或いは宜旨の御使など名のり申すと、かねがね承つて候ふ程に、
宜旨とはなんぞとて、切つたる候。
およそ信連、物の具をも思ふ様に仕り、鐵よき太刀をも持つて候はんには、
ただ今の官人どもをば、よも一人も安穏では帰しし候はじ。
其の上、宮の御在所は、いづくに渡らせ給ひ候ふやらん、知り参らせぬ候。
たとひ知り参らせて候とも、侍ぼんの者の、一度申さじと思ひ切りてん事を、
糾問に及んで申べき様なし」とて、その後は物も申さず。

いくらも並み居たりける平家の侍ども、
「あつぱれ剛の者や、これらこそ一騎當千の兵といふべけれ」
と口々申しければ、その中に或る人の申しけるは、
「あれが高名は今に始めぬ事ぞかし。
先年所にありし時、大番衆の者どもの留めかねたりし強盜六人に、
ただ一人追つかかり、二條堀川なる所にて、
四人切り伏せ、二人生け捕つて、その時なされたりし左兵衛尉ぞかし。
あつたら男の斬られんずる事の無慚さよ」
とて、口々に惜しみあへりければ、
入道相国いかが思はれけん、
「さらば、な斬つそ」とて、伯耆の日野へぞ流されける。


平家滅び、源氏の世になりて、東國へ下り、梶原平三景時について、
事の根元一々に申したりければ、鎌倉殿、「神妙なり」と感じ給ひて、
能登國に御恩蒙(かぶ)りけるとぞ聞えし。

(佐藤謙三校注 角川文庫『平家物語』上巻 P.191~196)







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Last updated  2008年08月04日 07時41分11秒



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