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2013年11月22日
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テーマ:臨戦刀術(92)
カテゴリ:臨戦刀術
 

 これと全く同じ事が、渋川流の奥秘、『柔術大成録』中にも出ている。
同流第四代渋川伴五郎時英の手記であって、
前記山本流自見齋以後の人である。
全く符節を合するとは、斯くの如き事をいうのであるかもしれぬ。
 
  人は彼等(禽獣蟲魚)が如き爪もなく角もなく芒〔はり〕もなきものなり。
 故に先〔ま〕づ手近の用には、太刀、刀の備あり。
 (中略)才智を用ひてそれぞれの器械を制してそれを爪牙に代へて使ひ
 害を捍〔ふせ〕ぎ難を遁〔のが〕るゝもの也。
 (中略)先づ差當〔さしあた〕りて刀脇指の手に入りて我が手先になる様を
 習わさずんばあるべからず。故に居合の稽古あり。
 その居合のけいこにて、太刀、刀の手に入りよく手先になりたる上は、
 又敵に対して勝〔かち〕を制する所のきざし、
 くあひやい(本のまま)を修錬せずんばあるべからず。
 故に、剣術の稽古あり。云々。

 両者の意見が、かくの如く合致しているのは、
山本自見齋は關口氏心〔せきぐち うじむね〕から居合を学び、
渋川流の流祖義方が、同じ頃、氏心から柔術を学んだのだから、
これらは、元来關口流の意見であったのかも知れない。
 この外に、幕末の剣客であり刀剣人であった、
幕臣(講武所頭取)の窪田清音も、またその著書で同じような事を述べている。
 右、刀匠山浦兄弟の説、山本渋川両武藝者の説は、
私のいう「刀も武術の内」なる言葉を裏書きしてくれたものであって、
俗にいう実戦即応の武術というものは、ここから出立すべきものであると、
私は痛切に考えるのである。







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Last updated  2014年02月26日 01時50分28秒



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