66573433 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

FINLANDIA

FINLANDIA

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月

Freepage List

2017年06月09日
XML
テーマ:戦ふ日本刀(97)
カテゴリ:戦ふ日本刀
 
 開封へ
 
 砲撃は次第に遠のいた。敵は総崩れらしいという。
事務室へ行ってみると、徹宵〔てっしょう〕兵器弾薬補給連絡の事務をとって、
一睡もしなかった戸室准尉の目が赤い。准尉は言った。
「敵は総潰走だ。味方は総追撃だ。一挙に開封まで押しかけるかも知れん。」
 人々の面上にはおおいきれぬ喜びがかくせなかった。
 部長も出てきた。
「工場は午前限り閉鎖して、出発の用意をする事。」
 どこもここも明朗になってきた。
 釜田曹長の佩刀は、古様式の日本刀をそのまま皮革の袋に入れたものである。
過ぎる隴海〔ろうかい〕線遮断の激戦で、
柄は折れ、惨憺たるものとなって、病床の枕もとに立ててある。
 今日、工場閉鎖を前にして、せめてこの地に同居した記念にと、
柄の新調に取りかかったが、材料もなく道具も完備していない。
致し方なく、弾丸箱のこわれたのを削り、これを切り出してえぐり、
木ヤスリで磨って、ともかくも柄木をつくり、鮫皮の代わりにズックを張りつけ、
柄絲を巻いて“使用できる程度の物”を造った。
これが、病曹長と一週間の起居を共にした自分の、せめてもの心やりであった。
 石井部長の佩刀を手始めに、釜田曹長のを最後に、
この歴史的な大包囲陣中に修理した日本刀の数は九十振であった。
 
 夜ふかくわが砲兵のうつたまのこだま聞きつつ刀つくらふ
 
 この朝けたちゆく兵の靴の音に目ざめてわれは刀つくらふ
 
 正午限り工場を閉鎖した。
それから、工具材料を片づけ、雑嚢に仕舞い込むまでの所要時間わずかに四十五分。
これで敵前軍刀修理工場を閉鎖し終わったのである。
 昭和十三年五月三十日第九時河南省蘭封縣黄庄ニ於テ軍刀修理工場ヲ開設シ
同年六月三日第十二時四十五分之ヲ閉鎖セリ。軍刀修理箇数総計九十振。以上。
 これが修理の報告である。
 もう砲弾は一つも落下してこなかった。
砲声は、遠くの方から、時々思い出したようにドーンと響いてくる。
 偵察機上から見た状況が、通信筒で落下された。
それによれば、潰走した敵の遺棄死体が、
ちょうどサンマの陸上げのように続いて見えているという。
 午後からは、どこもここも出発準備の荷造りで忙しかった。
東方から来る部隊が、下の道を通って西へ西へと前進してゆく。
 夕食の折には、珍しくキュウリがついた。それも二寸ぐらいの一かけらであった。
黄いろい岩塩をつけて、拇指の先ぐらいのをうまそうにかじった。
 夜はまだ雨が降った。銃の音一つせぬしんとした夜であった。
兵隊は手紙一枚書かない。みなポカンとしている。
あまり甚だしい急激な環境の変化で、かえって落ちつけないのである。
 
 朝になっても雨はやまなかった。
兵器部全部の荷物を◯台の貨物自動車に積み込む。
別に乗用車中の一台は、自分と病曹長にあてられた。
 例の小柄の特務兵は、それの運転手であった。
「自分は黒澤輜重〔しちょう〕特務兵一等兵であります。」
 姓名をたずねると、こう言って挙手をした。ただ嬉しいのだ。
今までどこに隠れていたのか、乞食のような恰好をした老若の土民が、
さながら地の中から湧き出〔い〕ででもしたように、あちこちから集まってきた。
手に手にザル様の容器をもって、各隊の出発したあとから、
空き壜空き缶といわず古シャツ古手拭い、なんでもかんでも拾い込んで廻っている。
 歩兵隊が行く。輜重隊の車が行く。
安藤少尉が馬上で行く。自分の方を見て、何度も何度も手を挙げた。
自分も帽子を振った。
どこもここも順次出発だ。自分らに出発準備の命令が出たのは、十時半であった。
小降りになった中を自動車に乗る。
病める釜田曹長も、今日は軍装をして長い日本刀を吊っている。
兵隊と自分とで、両方からかかえるようにして車に乗せてやった。
 わずか一週間住んだだけの地ではあるが、一度はここの土になりかけた自分らである。
なんとなく名残惜しいような、後ろ髪を引かれるような気がされて、
幾度も幾度も振り返っては眺め廻した。
 泥濘の道を進む。黒澤特務兵は、器用に巧妙にその中を運転してゆく。
砲車や他の先行自動車で、悪い道がなおさら悪くなっている。
時々深い凹地〔くぼち〕にめり込むと、
みな下車して押したり、綱で引っぱったりして進む。
敵の歩兵が集結していたという西の部落に這入った。
彼らが逃げる時放っていった火で、家という家が残らず焼け、
まだ盛んに燃えている所もあった。
黒い煙、白い煙が混ざってもくもくとたちのぼっている。
 もう雨はやんでいる。
敵の掘ってまだ間もないような、真新しい塹壕が、あっちこっちに見えている。
先行した工兵隊は、巧妙に地雷火を発見して、
目じるしの小さい白い旗をその部分に立ててあった。
「開封へ、開封へ。」
 誰も彼もがこう言っている。
河南省の首府人口三十万の開封城攻略が今日からの新しい目標であるのだ。
はるか南の方に堤防のようなものがある。
双眼鏡で見れば、敵の死屍が累々として埋めつくしている。
近寄るにしたがって、それが肉眼で見える。
雲が破れて、太陽が明るく照り出した。砂原のような所で小休止である。
 後方から一隊の馬上隊が来る。
近づくのを見ると、それは本隊本部で、
騎馬衞兵なみに歩兵に護衛された土肥原部隊長及びその幕僚である。
 みな立った。直立不動の姿勢で挙手注目する。
部隊長もその他も軽く答礼して過ぎる。
放胆無比な部隊長が、はるかに河南省の首都開封城を睨んで進む沈毅果敢な雄姿が、
諸幕僚の颯爽〔さっそう〕たる威風を背景に、鑞銀像のごとく輝いて見えた。
 それから三十分ほどして進発命令が出た。
 自動車は、少し入っては停まる。
我らと相前後して、豆戦車が◯台行く。警備のためである。
もう敵は一人もおらない。逃げ足の早いのは、ただ驚くほかなしである。
 大きな土手に出た。急角度で坂を上るのだ。
自動車はありったけの力で驀進する。
二度も三度もやり直しをしてようやく土手を越えるのもある。
下ると広い砂原で、ところどころに大小の砂丘が見えている。
あちらこちらに部落があって、畑には南京豆や黍の葉が茂っている。
この砂原で昼食をとった。
友軍の飛行機が来て通信筒を落としたり吊り上げたりしている。
行っては、また来る。どこかとの大きい連絡らしい。
 後で聞いた事だが、徐州陥落後、◯◯部隊が隴海線の南方を急進して、
我が部隊を包囲している支那軍の背後に出た。
それまでの間巧みに引きつけるだけ敵を引きつけておいて、
我が方は◯◯部隊と呼応して、一斉に撃ったのだという。
我が軍の損害も相当にあったが、
敵は総崩れで、その上死傷何万というを知らず、
まったく這々〔ほうほう〕の態〔てい〕で逃げ延び、一部は開封へ遁入したのである。
 やがてそこを出発した。
はるか向こうに、大きな土塀で囲まれた町が見える。
掃街という農村の大きなやつである。
南から土塀の崩れたところを上って下りる。
土塀の上には機関銃座をつくり、あちこちに塹壕が掘ってあり、
さらにそれらの上を木の葉のついた枝などでカムフラーヂュしてある。
敵はここで皇軍を食い止めるつもりですっかり準備したらしく、
こうした設備を一度も使用せずに逃げてしまったのであった。
 街々からは、菜っ葉やネギがたくさんに発見された。
それに、豚や鶏も相当手に入ったらしかった。
ここ三十日間、麦飯と実のない粉味噌汁ばかりで悲鳴をあげていたので、
こうしたものを見ただけで、みな歓声をあげていた。
時間は午後三時半であるが、本日はここに一泊という事になり、
宿舎は町の中ほど、見張りの望楼まである農家ときまった。
 飯と野菜と肉をうんと食って、薄暗い物置のような室で寝についた。
夜半に、遠くで鳴り出した砲声に目をさます。
先発隊の一部が、もう開封に肉迫したらしい。
砲声は、だんだん大きくなり、多くなっていく。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018年09月01日 03時18分00秒



© Rakuten Group, Inc.