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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 学者問うて云う。父なる者学術を大いに嫌い侍〔はべ〕り。 一人の友云う、父の心にさかうはひがごと(僻事)なり。 学問も孝弟を行わむがためなれば、父にそむきて学問すべき様なし。 心に義・不義の道理だに明〔あきら〕かならば、 外〔ほか〕、学問によるとよらざるとは、時の宜〔ぎ〕にしたがうべし。 学友の会に出〔い〕づることなかれと。 又〔また〕一人の友のいえるは、父の学術をきらえる(嫌える)は愚痴〔ぐち〕なり。 性命の父母につかうることを大孝ときく。 たとい父命にさかうとも是非無きことなり。 道を学びて好人と成るより大なる孝はあるべからず。 たとい父は勘当するとも、我に非議なきうえは、くるしからざることなり。 人と生まれて此の時節をむなしく過ごさん事はあさましき事なりと。 此の両義にまどい侍り。 十が六は、後の義を耳よりに思い侍れども、何とやらんねざめにはこころよから折々も侍り。 答えて云う。我は始めの義にしたがい侍らん。 大舜〔たいしゅん〕の、性命の父母につかえ給いて、父母の心にかない給わぬということは、 父母大悪人にして悪をすればなり。 今、貴殿の親父〔しんぷ〕は悪人の名なし。其の人がら平人〔へいじん〕也。 貴殿の実〔じつ〕を見るに、学問のかざりをのぞきて見れば、実の人がら平人也。 其の上、親父には人情・時変の知識あり。貴殿には此の知識なし。 貴殿は学術を以て親父にまされりと思い給うけれど、 学術においても、害あることは見れども、益あることを見ず。 尤も小人の不作法悪事をなすにくらべては益ありともいうべきか。 君子の学は心と行〔おこな〕いと二つあらず。心正しければ行い正し。 心〔こころ〕和すれば行いもやわらげり。 貴殿の心術は心と行いの二つになるがごとし。 学友の交わりには和あれ共〔ども〕、世間の交わりには和なし。 親類・知音〔ちいん〕みな離れて、同志とのみ昼夜の会をなせり。 わきより見て徒党〔ととう〕と云う共〔とも〕、いいわけしがたからん。 其の年中の所作〔しょさ〕をみれば、武士の家に生れながら、武芸をもつとめず、 弓馬 先〔ま〕づ以て君〔くん〕に不忠なり。 一門したしまず、朋友信あらず。父の嫌える所〔ところ〕至極〔しごく〕なり。 貴殿には道理なく親父には道理ありて勘当ならば、親にも不孝なり。 何を以てか人倫とし、何を以てか聖学とせん。 後〔あと〕の異見は「棄恩入無為〔きおんにゅうむい〕(恩を棄てて無為に入るは)、 真実報恩者〔しんじつほうおんしゃ〕(真実の報恩者)」に似たり。 名は聖学にして実は異学なり。 異学は人倫を離れて別にたてたる法なり。 人道をひくしとし、聖人を非としたるものなれば、各別のこと也。 人道に居〔い〕て聖学をする者の、実に異学を合わする事は、似て非なるものなり。 聖門の罪人ならずや。 一向〔いっこう〕に五倫を離れ五等を出〔い〕でたる者ならば、貴殿の行いも可〔か〕ならんか。 五倫に居〔い〕て五典十義を学び、武士にして五等を行わんとならば、 すみやかに虚〔きょ〕をすてて実〔じつ〕をとり、父命にしたがいて会合議論をやめ、 武芸につとめて家業をうとからぬようにし給え。 学文〔がくもん〕の名を去りて作法正しくば、親類・知恩もみな貴殿に化し給わん。 親父も初めて学術の益を見〔み〕知り給うべし。 宿にて一人書を見給うばかりは、誰がとがむる人あらん。親父もさまたげ給わじ。 学友も多くは武士なれば、共に武芸を学び、武芸の間に議論講明し給え。 武士の所作をすて五倫の親〔しん〕を離れて、年月を空しくし給わば、可〔か〕ならんや。 他人は嘲〔アザケ〕り笑うべし。 父の浅からぬ慈愛なればこそ勘当し給うなるべし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2020年06月13日 06時29分32秒
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