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2020年12月16日
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テーマ:老荘思想(128)
カテゴリ:道家思想

 
'Stairways To...' Huangshan Mountain, China
Photo by Maria_Globetrotter
images.jpeg
 
 
 
 

道家思想篇 117 老子 任契第七十九


  「大怨〔たいえん〕は和〔やわ〕らぐも、必ず餘怨〔よえん〕有り。
  安〔いづく〕んぞ以て善と為〔な〕す可〔べ〕けんや。
  是〔ここ〕を以て聖人は左契〔さけい〕を執るも、
  而〔しか〕も人を責めず。
  有德〔ゆうとく〕は契〔けい〕を司〔つかさど〕り、
  無德〔むとく〕は徹〔てつ〕を司〔つかさど〕る。
  天道〔てんどう〕は親〔しん〕無〔な〕けれども、
  常に善人〔ぜんにん〕に與〔くみ〕す。」
 
 
   和大怨、必有餘怨。
   安可以為善。
   是以聖人執左契、
   而不責於人。
   有德司契、
   無德司徹。
   天道無親、
   常與善人。
   
  
  
   (Adherence to bond or covenant)
   When a reconciliation is effected (between two parties) after a great animosity,
  there is sure to be a grudge remaining (in the mind of the one who was wrong).
  And how can this be beneficial (to the other)?
  Therefore (to guard against this), the sage keeps the left-hand portion of the record
  of the engagement, and does not insist on the (speedy) fulfilment of it by the other
  party. (So), he who has the attributes (of the Dao) regards (only) the conditions of
  the engagement, while he who has not those attributes regards only the conditions
  favourable to himself.
  In the Way of Heaven, there is no partiality of love; it is always on the side of the
  good man.
   ( Daoism -> Dao De Jing
 
 
 
 
 「為政者が人民に対して暴逆を振るったり重税を課して大きな怨みを一旦買ったなら、
 少しばかりの恩恵を彼らに施してその怨みを和らげようとしたところで、効果はなく、
 必ず後々まで怨みが残るものである。
 そういう政治は、どうして善いと言えようか。
 だから、聖人は貸し方に廻って、約束の割符は手に持っても、
 決して責めて取り立てるようなことはしない。
 有徳者は貸すことを司り、無徳者は取り立てることを司る。
 天の道は特に親しくする者はないが、常に真の意味での善人、
 すなわち有徳者に味方し、これを助けてくれる。
 (故に一見損ばかりしているような有徳者よ、飽くまで道を行ない、人民に恵みを垂れよ。
 そうすれば、怨みを受けることもないし、天の助けを受ける事が出来よう。)」
 
 (新釈漢文体系 7 『老子 荘子 上』P.126, 127 明治書院発行 )
 
 
 
 
 『深い怨(うら)みを和解させても、
  必ずいくつかの怨みがあとに残る。
  このように、和解は最善の方法とはいえない。
  賢者は借人(しゃくにん)の契約書(けいやくしょ)を握っているけれど、
  借人に支払いを求めない。
  だから、
  「徳」のある者は契約書を握るだけであり、
  「徳」のない者は税金のとりたてをする。
  自然の道はえこひいきはしない。
  それはつねに善人の側につく。
 
   注釈
  
  老子は第五十六章で、「道」の同一性について次のように論じている。
  
  それに近づくことはできず、また、遠ざけることもできない。
  それに利益を与えることもできず、また、害を及ぼすこともできない。
  
  この章で彼はいう。「自然の道にえこひいきはない」。
 これはものそのものでなく、ものの源として「道」の根本的原則である。
 第五章でいう。
  
  天と地に慈善はなく、
  すべてのものを偏りなく扱う。
  
 「道」は慈善と慈善でないものとの源であり、愛と憎しみの源である。
 また、それ自身も慈善とか慈善がないとかいったものはなく、愛も憎しみもない。
 老子はこの考えを前章で説いた。しかし、この章の最後でいう。
 「それはつねに善人の側につく」。
 これは「道」は決して一方的なものではない、という教えと矛盾しているように思われる。
 この説が深い根源的な調和や多様性の統一という観点から考えられると、
 対立物を結合させる者は「道」を有する人であるということは明らかである。
 「道」を有する人とはこの章で述べられている善人である。
 「道」はつねに善人の側につくということは、「道」が一方的であるということを意味しない。
 むしろ、それは、善人は「道」からそれず、
 「道」はつねに彼にとどまるということをあらわしている。』
 
 (張鍾元 著 上野浩道 訳『老子の思想』P.321 ~ 323 講談社学術文庫)
 
  (つづく)





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Last updated  2020年12月19日 03時34分55秒



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