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カテゴリ:クリエイティブライフ
【軽い言葉、重い言葉】
★金閣寺・銀閣寺住職、有馬賴底師の言葉から― ◎言葉には、表面的で浅い“軽い言葉”と深くて心に届く“重い言葉”の 二種類があります。 ただ、重い言葉は言うほうだけでなく、受けるほうにも、ある程度の器量や 資質がなければ、その奥行きは見えてきません。 受ける側にも、人間力を鍛えることが必要ということです。 お釈迦様の十大弟子の一人、サーリ尊者が女性から思いを寄せられて困り、 お釈迦様にアドバイスをもらうという話があります。 サーリ尊者が托鉢をしているとき、ある農村で出会った娘に好意を抱かれま す。どういう対応をすればよいのかわからないサーリ尊者は、お釈迦様に、 「こういう女性が私に強い思いを寄せてくるのですが、どうしたもんでしょ う」と相談します。お釈迦様はサーリ尊者に、 「そなたはその女性の愛を受け止めるのか、拒むのか」 と聞きますが、サーリ尊者は、 「私はどうしてよいかわかりません」と答えます。するとお釈迦様は、 「それでは、その愛を受け止めなさい」と助言します。 しかし、「その愛を受け止めなさい」という受ける行為は嘘なんですね。 お釈迦様は、世俗の愛だの恋だのというものが幻想にすぎないということを 知っています。 それを体験させるために、サーリ尊者にあえて「愛を受け止めなさい」と 言ったのです。 助言にしたがったサーリ尊者は、熱くなったり、冷めたりする愛が偽物の愛 であることがわかるのです。 たとえ、偽物の愛を語る言葉でも、いったん受けてからまた抜いてしまえば いいのです。この愛は真実だと思って受けると、それに振り回されて自分を 見失うことになります。 それと同じで、本当なのか偽りなのかわからない言葉であっても、自分から またいったんそれを受けてみればいいと思います。 そのときに偽りとわかれば、抜いてしまえばいいのです。 振り込め詐欺やさまざまな偽装問題に象徴されるように、今の社会は人を 欺く人がごまんといます。 そんな人たちが発する言葉の嘘やごまかしも、こちらに力があれば、たとえ 受けてもスッと抜くことができるのです。 仕事上の付き合いでも、友人との付き合いでも、受けておいて全部が嘘なら 全部抜くし、半分がごまかしなら、半分抜いたところで対応する。 大切なのは、そういう加減を自在にせしめる言葉の感覚や、人間の力量を どれだけ養えるかどうかだと思います。 (参考文献:有馬賴底著「禅、人生が楽になる考え方」中経文庫) ________________________________________ *言葉には力がある、とよく言われます。 しかし、言葉を発することほど簡単で、難しいことはありません。 人間が住む、この地球には「言語」といわれる種類は200を超えるという 話を聞いたことがあります。 その言語を、文字に置き換えることで文明は受け継がれてきたわけです。 たとえば、同じ日本に住んでいても、ある地方に行ったときの方言での会話 はまったくわからないということもあります。 つまり、言葉というのは、とても奥の深いコミュニケーションツールという ことです。 この点から言えば、言葉とはいかに多種多様なものであるかを知ることがで きます。 そして、理解できる共通の言葉で話をしていて、軽い言葉と重い言葉の区別 がわかる人は、自分の言葉の世界をもっている人とも言えるでしょう。 また、そんな人は相手が言葉足らずであっても、相手の本心をきちんと理解 してくれる大きさ、包容力があります。 言葉力は、人間力にもつながるもの。 その力を持ちたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年08月29日 07時00分08秒
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