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カテゴリ:向上思考
【苦しいことの中にも学ぶものがある】
人は、自分が悪いことをしていないのに、不幸や不運に見舞われることがあり ます。 それは、事故や災難、病気あるいは人間関係上のトラブルなどさまざまです。 そのようなときは悲しみ、あるいは怒りをともないますが、それでも乗り越え ようと努力をします。 努力をした結果、起きた出来事から学んで次に活かす人もいれば、ただの経験 にとどめてしまう人もいます。 どちらの道を進むにしても、その人の考えしだいでその後の生き方は違うもの になります。 成功者と呼ばれる人たちは、不幸で不運な出来事に遭遇したとき、どのような 気持ちでその状況を乗り越えていったのでしょうか? 間違いないのは、 『この出来事から、自分は何か気づくべきこと、学ぶべきことがあるはずだ』 と考えたことです。 その出来事には、大きな犠牲や悲しいことがあったにしても、起きた出来事を 変えることはできないと思い、これからどうするかを考えるのです。 アメリカの著述家に、ジェリー・ミンチントンという人がいますが、起きた事 への対処法について次のように述べています。 『どのような物事も、それ自体はよくも悪くもなく、中立です。 よく見えるもの、悪く見えるものもありますが、それは私たちがそのような 見方を選んでいるにすぎません』 これは、マイナスの要素があって不快だと思うとその見方をし、プラスの要素 があって喜べて楽しいと思えばその見方を選ぶ、ということです。 この言葉から、教えられることがあります。 それは、どのような出来事でも、いいほうにプラスに解釈すれば自分にとって もプラスになる、ということです。 また、古い教訓に、「禍福はあざなえる縄のごとし」というものがあります。 これは、この世は不幸という一本の藁と、幸福という一本の藁をより合わせて 作る縄のようなもので、人の不幸も幸せも、表と裏であり何が不幸のもとで、 何が幸せをもたらすかわからない、という意味です。 この言葉は、どうあがいてもしょうがない、と世の中を嘆いているととらえる のが一般的ですが、そのように考える必要はないのです。 不幸も、幸福も表裏一体なら、どちらに注視するかはその人しだい。 不幸と幸福が混じっているなら、幸福のほうをいつも見ていくようにすれば 自然に、幸な見方をする心がつくられるはずです。 ものの見方や心は習慣化できます。 不運や不幸な出来事でも、その中から気づくこと学ぶことがあると思って よく見ていく習慣が、自身をプラスの方向に向かわせることになるのです。 (by ハートリンクス) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年09月08日 07時00分13秒
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