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テーマ:恋愛について(2624)
カテゴリ:恋愛
私と赤い糸で繋がっている人はこの世界のどこかにいるのだろうか。
今日、昼間テレビで映画を観ていた。前にDVDを借りて見た事がある映画だったのだが、好きな映画だったので久しぶりにまた見ていた。ニューヨークが舞台のラブ・コメディー “Serendipity”(邦題:「恋人たちのニューヨーク」)。私はラブ・コメディー、つまりロマンティック・コメディー映画を観るのが好きだ。それはほんの2時間程の間、自分が主人公になって恋愛が出来るからだ。 このSerendipityという言葉を訳すと、「思わぬ発見をする才能、偶然に掘り出し物を見つける才能」とある。映画の設定は、見知らぬ男女がニューヨークで出会い、たった一日を過ごした後、運命がまた二人を引合わせるかという事だ。運命、宿命、信念(Faith)という言葉が連発される。そして、数年後お互いが違うパートナーと結ばれる直前に二人がまた出会う。 この世に偶然はないと私は思っている。恋愛においても今までの出会いは実は偶然ではなく、そう定まっていたのだと思う。実際に恋愛が成就されたか否かは別にして、ひとつひとつの出会いから学んだ事は多い。それは自分の事であり、父親の事であったり、また自分がどんなパートナーを望んでいるのかを解からせてくれたりと様々だ。失恋で心がボロボロになっていたと思っても、結局のところ自分の成長になっているのだ。 私はアメリカに来てすぐ、運命といえる出会いがあった。お互い学生同士、そして若かったこともあってか私たちの恋愛はとてもピュアだった。今、日本で「冬ソナ」や「セカチュー」で純愛ブームだが、私達もそれに負けず劣らずの純愛だったと思っている。勿論、ケンカもよくした。唯、あれだけ人を愛し、愛されたことは今までにその一度きり。 “I loved him and I was in love with him.” 彼も同じ気持ちを持っていてくれた。いや、それ以上だったかもしれない。1才半しか年上でなかった彼の精神年齢は私よりずっと上だった。次第に我侭になっていった私をよく我慢してくれたと今になって思う。その彼も私と同じようにアメリカへ留学へ来ていた。だから余計に彼と出会えたことを運命だと思うのかもしれない。彼との結婚は最初から無理と判っていた。彼のバックグラウンドや将来を考えるとどうしても無理だと思った。だから結婚したいと言われた時、断ざるをえなかった。私にとっては彼の幸せの為、彼を愛していたから別れたのだった。 あれからもう10年以上経つ。多くの出会いがあり、恋愛も何度かしたが彼とあった様な繋がりがどの出会いにもなかった。二人の人間の心、体、魂が愛で繋がる。いつも愛を肌で感じ、優しく包まれている感覚をどうしても追い求めてしまう。 「結婚したいなら、妥協は必要よ。」 よく言われるが、どうしても心が許さない。頭での恋愛が出来ない。これを大人になりきれていない、と云うのだろうか。結婚は神様の前で誓いを立てる。適当なところで手を打って、嫌になったら別れればいいという事が出来ない。だから私にとっての結婚は難しいことなのだろうか。 ソウル・メイトという言葉がある。私たちのソウル・メイトは沢山いると思っている。ある人がこんな喩を教えてくれた。つまり家族や親友もソウル・メイトの一員だ。ソウル・メイトは真珠のネックレスのように繋がっている。そして真珠は生きもの。核があり、それが分かれてまた核を作る。私たち一人一人はこの核にあたり、そしてパートナーはその片割れの核。半分ずつの核が一つになった時に一粒の真珠となる、と。英語でbetter half というが正にそのとおりだ。 映画を観終わると、私もつい自分のハッピー・エンドに期待してしまう。ここはニューヨーク。映画の舞台になったところ。家を出た街角で、コーヒーショップで、地下鉄の中で、どんな出会いがあるか解からない。「偶然の掘り出し物を見つける才能」か。30代を過ぎるとバーゲンの買い物のような目がないと駄目なのかな。 「ここにいるよ。」 私と赤い糸で繋がっているあなたは今この世界のどこにいるのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 19, 2004 04:09:22 PM
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