テーマ:政治について(20224)
カテゴリ:思うこと
私が地元で自己拠点化しているセンターでの、隣町からのお客様の発言。
この後に「大事なのは、その現場の中に身を投じるて実際にやること。このやる人が多いので、ここはうらやましい」と繋がる。 ある意味、まちづくりは自治そのものととらえると、正に至言。 色々な場面で、作戦やら指揮官の重要性を説く人がいて、ある意味でそれはそれで正しい。トップダウンの組織であればそうだし、ガバナンスの機構それ自体であれば、組織のつくりはそうなっているので、そうあるべきである。 しかしながら、ガバナンスは所詮、自治の一機構に過ぎない。ガバナンスが全ての自治(=まちづくり)をするわけではない。むしろ、その地域に住む構成員が日々生活し、その常々起こる衝突や接点を相互に自己解決していく行為に他ならない。この全ての衝突や接点にガバナンスが介入するわけでもないし、人々の日々の営み全てをガバナンスが規定するわけでもない。また、ガバナンスに準じるほかの機構が規定するわけでも当然ない。 どちらかというと、上から青写真を持ってきて何かやるということがあったり、それを上手くまわす唯一普遍的な理論があるわけでもなく、生活内で起こる他者とのふれあいという個別事象の集まりに過ぎない。そのふれあいを同処理するかは、誰に決められるものでもない。全ての住民が当事者意識を持って一つ一つ丁寧に処理していくだけのことだ。 あくまで、ガバナンスや個別の組織は、そのまちの中の一パーツに過ぎないし、そういう組織化を地域全体でしするという空論を、他人事のように述べて、実践はなんでも他人がやってくれるという姿勢は、正に自治の放棄に他ならない。 まちづくりや自治に青写真はない。毎日こつこつと隣近所とまじめに付き合っていく姿勢の繰り返しに他ならないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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