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![]() 『野の聖』1986 Drawing By Fukashi Hojo
祖師を親鸞聖人と頂く者は、如何なる人生となろうとも、この念仏聖の風格を、心して巡る日々をおくらねばならない・・・・北條不可思 私は、歩いていた。 骨身に染みる娑婆の風は、えげつなく薄情に吹き荒んで、河原に打ち捨てられた命を喰らっている。 すでに陽は落ち、未練の爪が冷たく空に浮かんでいる。こんな修羅の世に身をとどめようがない。踵を返しようがない。だからもう見上げもせずに茜に滲む空に決別を告げた。 桜の花が無常の風に震えていた。川底の石は、浮かぶ術もなく非情に凍えていた。 切迫する我が身を抱えて一歩を踏み出す。 南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧
それでも尚、追慕のような恋しさは明滅を繰り返す。粟粒ほどの疑念に清冽な意識が破られる。とりでの中に身を置いて、静寂が約束されたほとりに佇んでいるのに。 清浄なる身を求める自意識に打ちのめされてしまったのだ。
私はふたたび歩き始めた。求め訪ねて季節を重ね、万に一つの知遇を得た。雑行を捨て、弥陀の本願に帰する。我が身を見限る時が来た。それは、偶然なのか、必然なのか。地獄なのか、極楽なのか。救済なのか、堕在なのか。よき師との出遇いも、はからいを超えた法爾であった。荒れた海から吹き上がる風の凄まじさもまた痛快なり。 根を下ろすべき時を迎えた証のように、守り育む新しい命に恵まれた。 ならば、抗う為に歩くのか。いや、これもまたありのままの私なり。 過去も未来も風は風。今、唯今も風は吹くだけ。思いを越えて、雨を呼び、雲を払い、花びらを飛ばし、野山を大地を駆け抜けていく。
静かな夜に、灯明が糸のように揺らめき、侘しさや切なさを紡いでゆく。 淡く浮かんだ我が身の影に命の不思議が映っている。 経巡るような道もあったか。心定まらぬ日々を怨んで泣いたか。落ちた涙のかすかな熱に正気を取り戻したか。 南無阿弥陀佛
この白き道を。
『野の聖/NoNoHijiri』 《歌詩》
Last updated
2009/08/11 07:06:17 PM
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