しばらくブログを放置していたくもです。
こんばんは。
久々にマイブログを覗くと、猫母さまからの心配コメをみて、申し訳なく思う。
上の惰眠姉弟画像で判るとおり、明太子県では、今回の地震の影響は幸いにもさほど大きくない状態です。
が、我々Qシュー人は普段あまり地震を感じないので、少しの揺れでも激しく動揺しやすい。
ただ、幸か不幸か、くも自身は長らくピーナッツ県で過ごしていたので、地震になれていたというか。
なので、最初はものすごーくのんきでした。
14日夜のいわゆる前震時のこと。
帰宅して遅い夕食を作ろうとしていたんですな。
そのとき、地震が。
久々の感覚に、をや…と目をぱちくりして丁度味噌ラーメン作っていた鍋のガスを止めた。
「また、玄海地震かい?」
そう2005年の、福岡西方沖地震は玄海島周辺こそ、大きな被害があったけれど、その他の地域はさほど被害はなかったんですな。
くも自身はあのとき、明太子県内でやたら大騒ぎになっているのを、逆に異様な感じを受けるだけだった、そんな地震でした。。
ただ、明太子県では本当に珍しい地震の揺れなので、やたら不吉な気分になっただけでした。
そうして、しばらくして地震が止んだ後、味噌ラーメンを作り上げ、おもむろにテレビをつけてはじめて、震源地が明太子県じゃなく、くまもん県で、大事だとじわじわ気づいたという。
翌、15日、くもは休日でした。
で、15日もちょくちょく、ちいさな地震がくるので、すごく不吉だった。
揺れが始まる度に、ブツどもは走ってどっかに隠れ、しばらくして文句を云いながら頭突きしてくる銀と、いつもよりも激しく抱きついてくる月姐をあやしながら、一日本を読んでいた。
でもって、夜も読んでいたら、あの本震で、さすがにちょっとびびった。
風々堂近郊は震度5弱で、明太子県にきてはじめて感じる大きな地震でした。
そのとき、くもの足元でイチャイチャしていたブツどもは地震警報が鳴り始めると同時にダダダーと走り去ってしまい、一時間くらい、どっかに隠れて戻ってこなかった。
いつも甘えまくるブツどもなのに、いざとなると一瞬で見捨てられてしまうと判明したくもだった。
しかもその後、あたかも揺らした犯人のように銀からしばらく文句を云われまくるという、かなり理不尽な目にあってしまうオプション付き(^_^;
まあなんだ、咄嗟の時ブツどもに頼られても、なにもできないからして、サッと見捨てられる方がまだブツどもの生存本能が正常である証拠ではあるけれど、フクザツではある(笑)
そんなわけで、くもも、ブツどもも、いつも通り元気ではいます。
明太子県では今、体感できる余震はないのだけれども、震源地付近では余震がずっと続いているのでとても心配です。
九州人は地震になれてないから、余計余震が怖いはず。
しかも、どうも震源地が一カ所じゃなく、なんだか三カ所くらい行ったり来たりしているのがまた、不安を感じる。
誤報ではあったけど、一時、日向灘沖での余震の報が二度あって、そのときは心底ぞっとしました。
南海トラフがくるかと思って、ほんとうに焦りました。誤報でよかった…(T_T)
余震はやく、終わって、被災地の復旧活動ができることを祈ります。
あの凜々しい熊本城がまたはやく復活できるように──
大きな揺れの後、一時間くらいどっかへ隠れたあげく、
やくざ歩きでやってきて、大声で抗議しながら、
頭突きするのやめてください、銀時さん。
大地を揺らせるほどくもはデブではないです…(^_^;