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日曜日の23時10分からはNHK総合テレビにて毎週「NHKアーカイブス」なる番組で、過去に放映されたNHKの特集番組を再度放送されているのはご存じだろうか。10月30日放映は、当時大反響を呼んだ1999年2月放映の「フジコ~あるピアニストの軌跡」、そして7月放映の「フジコふたたび ~コンサートin奏楽堂~」(演奏抜粋)であった。
1999年といえばすっかりピアノから離れてしまっていた時期ゆえ、私はその番組の存在を知らなかった。しかし、フジテレビで2003年に放映されたドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」を通して、NHKのドキュメンタリーがきっかけで彼女の存在がより一般に広まるようになった、ということを知り、機会があればそのNHKのドキュメンタリー番組を観てみたいと思っていたのだ。 なにしろ、このNHKの番組直後から問い合わせや手紙などが1000通にも及んだといい、更にはあまりの反響の多さから再放送も何度もされたというから、この番組の影響力の大きさは計り知れなかったのではないだろうか。 そんなNHKの番組「フジコ~あるピアニストの軌跡」のメイン舞台は、当時住んでいたフジコの下北沢の家である。この家での日常を通して、彼女の生きてきた栄光と陰の時代、そして日本での復帰コンサートに至るまでを紹介している。 スウェーデン人の父、そして日本人の母に生まれたフジコは幼い頃から母から厳しくピアノのレッスンを受け、やがて才能を開花させていく。しかし、ドイツ留学を前に彼女が無国籍であることがわかり、パスポートもとれず、避難民として国外に出るしかなかったという。留学できたのは30歳になってから、それでもフジコは順調にヨーロッパでの成功をおさめていた。更にはあのアメリカの作曲家バーンスタインに才能を認められ、順風満帆だと思われたピアニスト人生だが、フジコはあるリサイタルの前に風邪をこじらせ、聴力を失ってしまう。折角つかみかけた大きなチャンスがここで崩れてしまったのだ。 フジコは当時を振り返りながら「悪魔がいる、悪魔がいると思ったね。あの時のことは思い出したくない・・・」と語っている。 その後、治療に専念したものの、2年間は全く聴力を失ったままであり、その後40%ほどの回復しか得られなかった。世間も彼女の存在を徐々に忘れていき、フジコ自身ももう人前で演奏することはないと思っていた。 フジコの母の死がきっかけで日本に帰国、ピアノ教師をしながら収入を得ていたのだが、もう一度ステージに上がりたい、彼女の思いが新たな人生を開くきっかけに・・・そして復帰コンサートを上野奏楽堂で開催・・・ここまでが番組で紹介された彼女のストーリーだ。 日常の風景として、下北沢の家にて9匹の猫ちゃんと暮らす日常(1999年当時)が映され、夜は物思いにふけりながらピアノを弾くという。母が決して手放さなかったピアノでフジコがしみじみと弾くベートーヴェンの「月光」、朝が苦手だというフジコがじゃがいものみそ汁を台所で立って食べる姿、日々の買い物風景などが次々と流れていく。 フジコは語る。「私よりもテクニックが上の人なんていくらでもいる。でも機械的に演奏するのはいや。間違えたっていいじゃない。人間が演奏しているんだもの」 確かに彼女の演奏は、まるでひとつひとつの音に、自分の人生の重みをずっしりと刻みつけるような演奏をする。鍵盤に向かう彼女のタッチはまるで何かを押さえ込むような、そんなところがみられる。彼女が最も得意とするリストの「ラ・カンパネラ」、あの鐘の響きは、彼女の人生そのものなのかもしれない。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 番組後半は、「フジコふたたび ~コンサートin奏楽堂~」(演奏抜粋)として、彼女が1999年4月に開催した復帰コンサートのなかから、5曲を放映。その曲は、以下のとおり。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 人生、何事も諦めちゃだめだ、挑戦できる力が少しでも残っている限りは、どんな小さなことでもいい、挑み続けよう、この番組をみて、少しパワーを貰ったような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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