一時帰国日記 その19 番外編
おはようございます、ひなこです。オーストラリアに帰ってきて、友達に頂いたお花!紫のデンドロビウム蘭です。オーストラリア原産です。私の両親は園芸を趣味としていたので、名前だけは聞いたことありますが、こんな花だったのか!夫は、プラクティカルな考え方をする人なので、花より団子派で、あまり花を贈ったりはしてくれないので、私は花を頂くと、とっても嬉しいです!日本では掃除もちゃんとしましたよ。母はきれい好きなので、毎日、ちゃちゃっと掃除しているからきれいなんですが、膝が痛いから下の方の掃除が不便ということで、台所や冷蔵庫の下の方を拭いたり、床も毎日なんたらワイパーみたいなモップで拭いているけど、ちゃんと雑巾でマジックリンとか使って拭いたり。あとは、高いところがもう掃除できないので、電灯とか、椅子に乗って拭きました。手の力が衰えているので、ガスコンロの五徳を磨いたり。でも、私のうちよりきれいかも~、みたいな。私が85歳だったら、家はもっと汚いと思う・・・。窓ふきをしようと思ったら、まだ隣の家との間にがっつり雪が残っていて、「転ぶなよ」と父に言われながら、しっかり転びました。滑ったわけでもなく、どうして転んだのかよくわからないんですが。ただの老化ですね。日本で、全く英語を話さなかったので、英語を忘れた!そうか、去年は息子と一緒だったから、日本でも英語を話していたのか。空港で、夫に「お母さんは、まだご飯の支度しているの?」と聞かれ、「だってお母さんがご飯作らなかったら、うちは二人とも餓死しちゃうよ」と言いたかったのに、starveが出てこない。とほほ。キッチンの台の高さが日本のは低すぎたけど、オーストラリアの高さはOK!眼鏡のレンズが合ってない!眼鏡市場で、「車の運転しますか」と聞かれ、「しません」と答えたので、あんまり遠くが見えないようなレンズにされたらしく、オーストラリアの家は日本の家より広いので、遠くがよく見えないんですが・・・。別に、ひなこが豪邸に住んでいるわけではないですよ。遠近両用なので、老眼の方の手元はよく見えます。日本にいたら6か月以内なら無料でレンズ交換してくれるらしいですが、それも無理だし・・・。ちょっとショック。不愛想な店員に戻りました。ああ、日本の店員さんが恋しいです。日本のスーパーは、この世の楽園のようでした。魚売り場に住んでもいい。NHKラジオで一回聞いた、GLIM SPANKY、結構古くて新しい感じで良かったなあ。日本で得た新情報。私の母の母、ひなこおばあちゃんは、明治34年生まれ。母の父は、明治28年生まれで、父の父は、明治29年生まれ。と聞いても、明治が何年まであるのか、大正が何年まであるのか知らないから、西暦で何年?みたいな気分でしたが。(あ、ふゆのばあちゃんの生まれた年聞いてないわ)さ、ここで面倒くさがらずにグーグルしましょ。明治28年は、1895年だそうですよ。ということは、明治29年は1896年。明治34年は、1901年です!で、明治は、45年まであって、明治45年、および大正元年は、1912年です。そして、大正は、15年まであって、大正15年と昭和元年は、1926年です。ということは、私の父方の祖父が北海道へやってきたのは、私の祖父が10歳の時だったそうですから(むかしは数え年だったのか、年齢の数え方)、大体1906年、明治39年で、仙台から馬車に乗ってやってきたんですねえ。母方は、昭和6年、1931年に広島の大竹から汽車を乗り継いで10日かかって来たそうです。ちなみに、今シドニーから北海道まで半日で行けます。テクノロジー。あ、それから、渋谷生まれを自負していたふゆのばあちゃんが、北海道に流れ着いた顛末も聞いてきました。なんでも、父親が若くして亡くなり(旧姓は東海林さんだったそうだ。知らなかった!)、母と小さい妹と母子家庭になって、仙台に住むようになって、そこに私の父の祖父が北海道からやって来て、「誰かわしの息子の嫁になってくれんか」と嫁探しをしている時に、うちのふゆのばあちゃんに白羽の矢が立って北海道に嫁に来たらしいです。私の祖父は、一重のお醬油顔だったので(ひなこ、こっち系)、二重で目の大きい人と結婚する!と心に決めていたらしくて、めでたく結婚したらしいですよ。昔の人も、結構旅していたんですねえ。と、番外編は、どんどん番外に外れていくのであった。では、ご機嫌よう!