テーマ:相撲(1569)
カテゴリ:相撲 本&雑誌&映画&TV
その2のつづきです。 *力のサムライ伝 * 香車 * 悔しさバネに十両昇進 5日目○ 2005/07/15 以下抜粋 昭和三十二年 1957年
中継で番付の話になると、「番付っちゅーのは、運もありますんでね」と勝昭タンはよく言いますが、自分の体験もあっての事かと、この記事を読んでしみじみ思いました。 序二段から三段目を通過するまでに丸4年かかった勝昭青年。この頃のあだ名は「香車」だったそうです。容姿だけでなく、一直線に前に出る相撲しか取れなかったからだそうです。伸び悩んでいました。 精彩を欠く勝昭青年。
ぬっ。白鵬も一時、部屋の行司さんの明荷を担いでいましたが…。似ている。
ちょっとした、挫折を味わう勝昭青年に追い討ちをかけるかのように大変なことが続きます。 既にお酒を覚えていた勝昭青年。18才。夏の北海道巡業で事件が! 朝帰りした勝昭青年。横綱千代の山も、面倒見てくれていた兄弟子も不在の中…。
そしてなんと、秋場所を全休。50日間も病院で療養生活。 細木数子で言うところの“大殺界”でしょうか!? 因みに、白鵬も幕下時代、朝帰りをして熊ヶ谷親方に大目玉喰らっています!BY 雑誌「相撲」 苦しい状況の勝昭青年の元に、入門の時に世話をしてくれた村上精一郎さんが登場! 四股名を変更する事になりました。 「北の冨士」 ←「ふ」は「冨」。点の無い方。 退院して部屋に帰ると、「辞めてなかったのか」との兄弟子達の冷たい目! ここから、勝昭青年がんばります! 九州場所は6勝1敗。3場所連続勝ち越し幕下に上がります。改名してから2年ちょっとで関取に手が届くところまで番付を上げました。 そして昭和三十八年初場所。20歳の勝昭タン。幕下4枚目で6勝1敗。十両昇進を決めました! 初土俵から35場所目。ようやく関取として土俵に上がります。 やる気になったら、出来る勝昭タン!
きたわぁ~~。 勝昭タン、本気モードになってきましたぁ~。 *力のサムライ伝 * 大関昇進 * 「足袋がない」遅れた儀式 6日目● 2005/07/19 以下抜粋
やはり、十両に上がる、関取になる、大銀杏を結えるという事は、 どの力士にとっても夢であり、思い出深いことなんですね。
やはり、素直なようです。
「お金の話はしない!」って吉田アナに一喝していた勝昭タンだったのに…。 でもこの稽古方法良いと思いますよ。今もやったらいいのに…。
おかみさんが、教えてしまったようです…。 そして勝昭タンの夜の人生が華咲き始めたわけです。
なんか、凄くかっこいいんですけど。 相撲とは関係ないんですけど、とんねるずの貴さんも、同じような事言っていました。 十両5場所目。勝昭タン21才。 昭和三十八年九州場所で十両全勝優勝。史上3人目。翌年初場所に新入幕。
毎晩飲み歩いていた勝昭タンは容易に想像がつくのですが、 1日100番の勝昭タンはなかなか想像がつきません。 <新入幕 昭和39年初場所 東前10枚目 13勝2敗> 新入幕力士最多勝の新記録。 1場所15日制になってからは、勝昭タンの13勝は、陸奥嵐と並んでTOPの記録です。 因みに、12勝は、大鵬、白鵬、栃乃花、他7名。 そして次の場所。入幕2場所目で、勝昭タン小結になったんです! しかし4勝11敗。5枚目まで番付が落ちます。 それからは、三役と平幕上位を行き来して…。 昭和40年九州場所。東関脇になり、5場所、東関脇を続けます。 昭和41年初場所から3場所続けて、三賞を受賞。殊勲賞2回。技能賞1回。 昭和41年名古屋場所。三賞は貰えませんでしたが、10勝。
8-10-10ですからねぇ。大関が1人豊山だけだったからでしょうか? ちょっとどうなんだ、って話ですよね。 ただこれも、勝昭タンが持っている「運」の強さだと思うんです。
この話は結構有名ですよね? 40分送れて伝達式は始まったそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 2, 2007 05:54:15 PM
コメント(0) | コメントを書く
[相撲 本&雑誌&映画&TV] カテゴリの最新記事
|
|