学生さんの教育実習で2週間ほど開いてしまった、久しぶりの大学。ちなみに大学の先生はあくまで障害児教育なのでキレーションについては話していないし、少し後退が収まってきた4月にはじめて会っているのでどん底は知らないんですが、行く度に「進歩が見られる」と言っていただけて嬉しい限りです。今日は学生さんが最初に手本を示してその後についてやる、ということができて(ボールをバスケットゴールに入れる)なかなか良かったものの、やはり私や主人や、先生のようにたまごおうじが目を見て意思表示をするまで「待つ」意識がある人相手じゃないとなかなか「自発」ではアイコンタクトが取れないようです。(学生さんは待たないでたまごおうじの要求に応じてしまう)まあ、大学の先生は類稀な行動療法の先生なので、とっても有意義なのですが欲を言えば学生さんに徹底してABA的に接して欲しいかな・・・・。あ~、でも般化は難しい。障害児に慣れている学生さん相手ですらこれなんだから一般社会への壁を感じてしまって凹みそうになるけどまだ猶予はある・・・頑張らねば・・。療育センターはひたすらたまごおうじの自発を待つ姿勢なのでほんとうに般化のために淡々と往復30キロドライブしている感じです。他の自治体もこんなだとしたら日本における公的な療育制度そのものが米国などに比べると雲泥の差と言わざるを得ないと思います。私は大学時代・OL時代などどうもあまり米国が好きじゃなかったんですが(なのに米国の企業にいたけど)やはりこういう状況になってみると米国は少なくとも日本よりはずっと「様々な」人・考えを受け容れる度量の広さをもっていると思います。日本の中でも特に、閉鎖的な地方にいると余計にそう感じます。
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Last updated
September 9, 2004 01:14:48 AM