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まだ私も観てませんが、素晴らしい映画のようです。
ぜひ私を含めて今の日本の人たちに見ていただきたい映画です。 「アレクセイの泉」 Save Our Souls 我らが魂を救え!より転載 生まれ育った土地に住み、働いて、 そこに住む人々を助け、ある時は助けられて、静かにたんたんと生きていく。 ティーンエイジャーだった頃は、そんな生き方、 退屈きわまりない!と、思っていたけれど、 すっかり大人になった今は、それこそが理想的な生き方だなと、 憧れすら抱くことがあります。 そんな理想郷が、この映画「アレクセイの泉」の舞台です。 雪深い、美しい針葉樹の森を抜けると、その村はあります。 まだ薄暗い朝、村人たちが、共同の泉にやってきて、水を汲み、 ある者はバケツに、もう少し力のある者は、天秤棒に二つの桶をぶらさげて、バランスを上手く取りながら、ゆっくり水を運んでいく。 カメラは、一軒の家の中に入っていきます。 農閑期、家族全員が静かに、家の中で過ごします。 75歳のイワンは、得意のカゴ作りを、70歳のニーナは、糸をつむいだり、機を織ったり、繕い物をします。 彼らの末の息子、34歳のアレクセイは、暖炉のそばで読書にふけっている。 風の音、森の木から雪が落ちる音、水の音、薪が燃える音、猫の鳴き声、それらの静かな音を背景にした、充足した光景は、まるでおとぎ話のよう。 しかし、これは、おとぎ話の村ではありません。 地図から消された村、ベラルーシ共和国ブジシチェ村なのです。 1986年4月26日、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の大爆発によって、最も深刻な放射能汚染の被害にあった地域にある、小さな村。 実際、この村の美しい森は、チェルノブイリと同じぐらい汚染されており、60キュリーから150キュリーの放射能が、検出されています。 事故直後、40キュリー以上が、強制移住として指定された地域だったので、汚染度はかなり深刻で、当然、この村に住んでいた約600人の人々は、別の地域へ移住していきました。 現在、この村に残っているのは、55人の高齢者と、ただ一人の若者、アレクセイだけ。 彼ら56人も、この村を出ていくことを、何回も何回も考えたはずです。 けれども、どうしてもこの村を捨てていく気にはなれなかった。 それは、あの泉の水があるからです。 ジャガイモ畑も学校も、あらゆる土地が汚染されているにもかかわらず、何と、この泉の水からは、まったく放射能が検出されないというのです。 高濃度に汚染されている森で採れるきのこも、『絶対に食べてはいけない』と何度警告されても、その時期になると、森に入り、採取し、ちゃんと泉の水で洗ってから、食べたり、保存食用に瓶につめたりして、森の恵みをしっかりいただきます。 村人は、この泉を「百年の泉」と呼びます。 「この水を飲んでいれば大丈夫」と、老人は言います。 「あの泉のそばには、神様が立っている」と、言うのです。 だから、"リンゴ祭り"、"秋の収穫祭"、"冬の十字架祭"と、季節ごとの祭りはすべて、この泉で執り行います。 ここは、水を汲むだけの場所ではなく、村人の心のよりどころなのです。 この映画が撮られた2000年、ほぼ10年ぶりに、司祭がやって来ることになり、 女達が、2年も前から、やいのやいのと言っていた、 腐りかけていた、泉の木枠の修理を、じいさん達が渋々始めるところが、この映画の中でも、とても楽しいシーンです。 平均年齢71歳の5人衆は、森に入り、適当な大きさの木を切り倒し、 泉まで運び、斧と鋸だけで、どんどん木枠を修理していく技と姿は、 なかなかの男っぷりで、かっこいい! もちろん、力仕事がある所に、アレクセイは必ずいます。 村でたった一人の若者なので、ちょっとした力仕事から、 収穫時の、コンバインの運転や、トラクターの修理など、 困った時は、誰もがアレクセイに声をかけます。 アレクセイは、その助けの声に、イヤな顔一つせず、 当たり前のように、黙々と仕事をします。 アレクセイもまた、泉と同じように、村人の心のよりどころなのです。 しかも彼は、とてもやさしい。 馬や犬や、カエルと遊ぶ時も、笑顔で話しかけ、十字架を作るために、木を切り倒す時も、そっと「ごめんね」と声をかける男です。 その姿を追っていると、宮沢賢治の詩の中に出てきそうな、聖者のように思えてきます。 アレクセイは、小児麻痺の後遺症のため、動作が少しだけゆっくりです。 それが理由なのか、年老いた両親を残しておくのがしのびなかったのか、この村に残りました。 彼は、その理由をこう語ります。 「村で生まれた者は、たとえ町へ出て行っても、いつも村に心を寄せている。 運命からも、自分からも、どこにも逃げられない。 だから、僕もここに残った。」 誰かの力になること、助けることは、つまるところ、 助けられることと、同じなのかもしれません。 老人たちを助けることで、アレクセイもまた、生かされている。 そうやって人は、助け合うことで、共に生きていく。 祭りの時に、ばあちゃん達が、輪になって踊る時の、あの喜びの笑顔。 共に生きることのすばらしさで、ほっぺたがピカピカに輝いています。 その喜びの中心に、こんこんと湧く、泉があるのです。 その泉の存在を、神がいることの証だと、思う人もいるだろうし、 奇跡だと、思う人もいるでしょう。 わたしは、この泉に、命の源泉のようなものを感じ、 体のずっと奥の、深く静かな部分にある何かと、共鳴するのを感じました。 それは、誰にも触れられない、 自分でさえ触れたことのない、赤ん坊の時のままの何かで、普段のわたしの生活では、ほとんど思い出すこともない、 命の力が、呼び覚まされる体験でした。 「泉の水が僕の中に流れ、僕を引きとめている。 泉が人々に故郷に戻るよう、引き寄せているのだろう。」 アレクセイは、こうも語ります。 心の中の泉を信じ、諦めて生きることのすごさ、 目の前の現実を受け入れて暮らしていくことのすごさに、 胸うたれる映画です。 -writing by 吉田 妃呂- ★東京、BOX東中野にて、12/21~上映あり!詳しくは、オフィシャル・サイトをチェック! ★東京都内は、8/1、なかのZERO大ホールで、特別上映会があります! 監督の本橋成一と、音楽の坂本龍一のシンポジウムや、 坂本の映像作品「ELEPHANTISM」のダイジェスト上映などもあります! その他の地域は、オフィシャル・サイトをチェック! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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(2012年04月22日 00時48分01秒)
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