都知事選
最近、都知事選に関する報道がザワザワ目立つようになってきましたね。誰々が立候補するらしいとか、何とか。その顔ぶれとか見る度に、いつも愕然としてしまうんですけどね。あー、、、どうせまた組織票だけで当選者が決まってしまうんだろうな、みたいな。恐らく今回も、そうなりそうな気が致します。基本的に、投票率が低ければ低いほど組織票が有利になりますから、組織の強そうな人が立候補していれば、あとはもう開票結果なんて見なくてもほぼ当選者は確定ですよね。ですから、組織力で勝てると見込めば、国会議員辞めてでもイスが欲しくなるのでしょう。でもさ、、、そういう人がやっていい地位なのですかね? 東京都知事って…。私は、若い頃、ちょっとばかり政治に興味を持ちだしたころは、国会中継とか、たまに見ていました。サラリーマンやめた直後くらいの頃のことです。働いているとなかなか見れないですが、仕事をやめて日中でも自宅に居れるようになると、見れたりするじゃないですか。それで見てたんですよ。当時は結構面白がって見ていた記憶あります。ちなみに、当時は同時並行で経済も勉強しはじめていました。サラリーマンやってると、経済には無頓着にならざるを得なかったですからね。正直今も勉強しています。たぶん一生勉強し続けることになるのでしょう。よく、経済を勉強するならまず新聞を読め、みたいなこと言う人、いるじゃありませんか。昔はそれを真に受けていましたよ。恥ずかしながら。今だから言えますけど、経済と一口に言っても、某経済新聞に載ってるような内容が経済というわけではないんですよね。市場とか、マーケットとか言った方がしっくりしますが、グローバルなマーケットのことだけにしか興味ない方は、それだけを勉強すれば充分なのだと思います。私が勉強したのは、経世済民のほうの経済です。ほとんどの方が勘違いされていらっしゃるかと思いますが、経世済民こそが真の経済ですからね。「世を治め民を救う」ことこそが正しい意味での経済なのです。仁徳天皇 煙立つ民のかまどは賑ひにけり (ミネルヴァ日本評伝選) [ 若井敏明 ]日本に伝わる神話で、有名なのがありますよね。「民の竈」ってやつですけど、経済、すなわち経世済民を語る上で、最も基礎となるお話です。こういうのとかも私は読みましたよ。で、一通りザッと経済を勉強した上で国会中継を見てみると、こんどは全然見え方が変わってきたんですよ…。あまりにも日本の政治のレベルが低すぎることに気が付いてしまって愕然としたんです。見ていると奥歯がガタガタ言うくらいストレスがたまるので、もう見るのをやめました。今ではせいぜい特定の政治家の国会質問を切り取り編集したものをちょっと見るくらいかな。つまり、私の言いたいことは、こうです。今の政治家の全員、とまでは言いませんが、殆どの政治家は、民を救うために立候補してくれた訳じゃなくて、政治家になりたくて立候補して当選した人ばかりだってことですよ。組織的にそういう立候補者ばかりを推してきたから、政治が劣化し、民を救わない国に落ちぶれてしまったのだと思います。わたしたち有権者が一票を投じるべき立候補者は、一言で言うなら「民を救うべく高いこころざしで立候補をしてくれた人」なのではありませんか?ちょっとオトコマエだから、とか、ちょっと美人だから、とか、テレビによく出てる人だから、とか、ウチのほうにちょっと利益誘導してくれた恩があるから、とか、うちの組織で誰を推すかがもう決まってるから、とか、そういうくだらない基準で選挙で投票するのはもうやめようよ。どうせ選挙に行ったって何も変わらないじゃーん、、、とか言って、選挙権を放棄するのはもっと悪いですよ。自分の、そして、国民全員のこれからの人生を、キミは見放した、ってことなのですから。そういう人たちのせいでこんな国になっちゃったってことをもっと自覚してほしいです。