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現代徒然草

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八木哲郎

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はたやん@ はじめまして はじめまして。 官位や席次を検索してい…
2007/01/05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、江戸博物館で江戸城展を見た。とてもにぎわっていた。この江戸城は焼けてしまって跡形もないが、残念なことである。もし健全なままで残っていたら東京一の観光名所になっていただろう。
見ていて、思ったことはなんと日本の将軍は質素だったのだろうということだ。あれだけの城だったのに、金銀財宝などはなく、みるべき遺産はない。北京の紫禁城、パリの王宮、ローマの法王庁、セント・ペテルブルグの王宮などの豪華絢爛さは腰を抜かさんばかりだが、日本はかくの如しであった。
いちばん興味をもってみたのは、江戸城の大名の詰間である。
かつて260くらいの大小の大名がいたわけだが、彼らそれぞれが江戸城に登城したとき、通された部屋によってランクづけがわかるようになっていた。部屋には7ランクあって、大廊下、溜間、大広間、帝鑑間、柳間、雁間、菊間の順である。
大廊下、溜間はいわがご三家およびその分家の人用の応接間。いわば身内であるが、大広間になるといちばん大きく豪華で、上段、中段、下段の部屋に分かれ、上段に将軍が座して公式の儀式を行う場所であった。能舞台もすぐそこについていた。ここに入れるのはだいたい2けた万石のエリート国持ち大名で24家あった。
次の帝鑑間は、10万石以上の大名。水野、丹羽などの5万石あるいはそれ以下の例外もあるが60家あった。
次の柳間は10万石以上も以下もあるが、4位に官位がおよばないか、五位の外様大名である。80家でいちばん多い。いちばん元気がありそうな大名群である。
次の雁間はヒトケタ万石。その他大勢組といったところ。45家。
最後の菊間は1万石程度の小大名。35家。

たとえば、江戸城を再建して、100間以上はあるのを全部のままにして、観光客がきたとき、ここは大広間、ここは雁間、ここは大奥、ここは浅野内匠頭の刃傷沙汰があった松の廊下というふうにガイドが説明して、当時の封建制をしのばせれば、ずいぶん勉強になってたのしいだろうと思う。
20年くらいかけてもこのプロジェクトはやるべしである。





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Last updated  2007/01/05 10:31:56 AM



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