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あつあつの骨
4月13日 毎日書くと宣言していながら、一ヶ月経ってしまった。日記ページだから黙って待っててくれたけど、これが恋人だったらとっくに何処かへ行ってしまっていただろう。言い訳じゃないが、なんにもなくて忘れていたわけではない。 12日、お葬式をした。弟が死んだ。90歳と91歳の両親より先に。4月10日午後2時35分。肝硬変。56歳。大酒飲みで、バクチが好きで、借金まみれで、死ぬまで親の厄介者だった。「早く死んだらええのに」と言われていたから、早く死んだのらしい。3年前に事故で脚を折り、新聞配達をしていた。配達を終わって家へ帰った途端倒れ、救急車で病院へ運ばれ、4日めに。病院から「重態です」と電話があったけど、「またお金が欲しいから、あんなこと言うてるねんわ」と両親は信じなかった。甲状腺の手術、胃の手術、脚の手術と、3年に一度は入院していた。お酒飲んで暴れて精神病院へ放り込まれたこともあった。3度目ならぬ5度目の正直。両親ともに足がおぼつかないから、私一人で弟に「さよなら」言った。笑っているような可愛らしい顔で死んでいた。4日前まで働いていたなんて、気楽なヤツだ。私一人で、お棺に花を入れた。葬儀屋さんも手伝ってくれた。私一人で、焼き場の窯へお棺が入るのを送った。係りの人が拾ってくれたお骨を私一人で、小さな壷に入れた。焼きたてあつあつの骨だったから、車の中でも壷は温かだった。 2002/05/04 17:32:09 シニガミがついて バクチで山ほど借金を作って、お嫁さんが子供をつれて実家へ帰ったのは、20年も前だった。お嫁さんはとっくに再婚しただろうし、子供も結婚したかも知れない。女の子だったから。 弟と暮らしていた人は、借金取りをゴマカすために入れていた籍を抜いたということだった。でもずっと一緒に住んでいた。なのに、病院には、「死んでも私は引き取りませんから、親の方に連絡してください」と言った。「どうしよう」と母からの電話を受けた姉が、S市のM葬儀社に連絡した。「焼き場が満員で、3日待っていただきます」とM葬儀社は言った。「遺体のお預かり賃は、一晩三万円です」 「ええ旅館並みやなあ。死んだ人、なんにも食べへんのに。足元みて、そんなこと言うねんわ」 姉は別のB葬儀屋に問い合わせた。「A市の焼き場なら、明後日使用できます。2晩お預かりします」B葬儀屋は親切だった。 世の中で一番、死んだ人が怖い姉は、葬儀屋さんと一緒に遺体を病院へ引き取りに行った。死んだ人の横の椅子に座ってくださいと言われて、「電車で行きます」と言い、助手席へ乗せてもらった。遺体を会館の霊安室へ預けて帰っては来たが、「こわい。こわい」と何度も言った。お葬式には姉も来てくれたけど、お棺のフタを取るときは外へ逃げていた。会場から焼き場へ運ぶ時は、「お棺に入ってるし、足の方やったらええやん」と無理に乗せた。お骨をあげるのも怖がって「帰る。かえる」と言うのを引きとめたけど、お骨を拾う間、ずっと待合室で待っていた。お骨を両親の家へ持って帰る途中、駅で降りて帰ってしまった。翌日、「病院と市役所へ行ってくれる?」と電話したら、「あんまり怖かったから、起きられへんねん。死神がついて来たみたい」と、死にそうな声で言った。 2002/04/15 0:11:15 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2002.05.04 17:32:09
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