NHKのドラマの不自然さを尤も強調するものは、商品名やメーカーの名前だね。
ビールの瓶や缶のラベルが世の中に存在しないものばかり。
それと、ほとんど煙草が登場しない。非現実的な世界。
まあ、ドラマは虚構の世界だからまあいいかとは思うけれど、リアリティはないよね。
でも更に不公平にも思えるのが、大相撲やニュースの場面。
大相撲では、平気でスポンサーの懸賞金垂れ幕や、箒を持って掃除する人間の背中の着物の広告は堂々と放映され、ボカシが入らない。昔は「なとり」が独占だったなあ。
ニュースでは、商品名やメーカーの名前をアナウンサーは言わない。でもテロップには仕方なくメーカーの名前含みの役職名が出てたりする。
これってもの凄く不自然だよね。
昔はスポーツの世界でもスポンサーは選手にいろいろ要求した。
例えば、スキーの選手だったら、インタビューの時には、スキーの板を顔のそばに持ってインタービューを受けろとね。そーすれば、メーカー名がテレビに映るから。
言語規制についても、訳の分からない基準の不公平を感じるのはわしだけかな。
例えば、歌詞に商品名が入ってると問題になったり、差別用語なんていうつまらない単なる言い換えでリアリティを失っているように思う。
自主規制って、都合の良い逆差別に感じるなあ。圧力団体に弱いマスコミの体質だろうね。
誹謗中傷の言葉を規制するのは多いに賛成だけれど、状態を示す単語の言い換えは、表現の自由を奪う不公平な逆差別言語規制にしか過ぎないと思うだけどね。
昔の単語表現ではイメージが悪いので言い換えるだけならまだしも、本来の意味が分からなくなるような言い換えはいまいち理解出来ないなあ。
ストレートな表現も残しておいて欲しい。後は使う人の判断で自由であってほしいなあ、それが大人というものだ。
やたと規制して過保護にしては、成長がないだろうにね。
昔はピサの斜塔には「これ以上行くな危険」的な看板しかなくて、網や柵はなかった。でもその当時の日本は、柵や網だらけで、景観を邪魔していたな。
過保護子供型社会って、そんなもんなんだろうね。
なんでも自分たちの都合で騒げば規制出来ると思っている大人を育てた日本て、なんて文化が低いんだろうと思う。