|
カテゴリ:カテゴリ未分類
こんにちは亜樹、一美、沙織、夏希、優です!
前回blogでお伝えした「大船渡市訪問」 移動の途中、様々な場所にも行ってきました
こちらは碁石海岸 大船渡市末崎半島の東南端約6キロメートルの海岸線を 「碁石海岸」と呼びます。
碁石海岸は、「国の名勝・天然記念物」に指定されているほか、 「日本の渚・百選」にも選ばれています
亜樹、沙織、夏希は碁石海岸に来たのは初めて!
碁石浜は波によって磨かれた玉砂利が、一面に敷きつめられた海岸で、 碁石海岸の名前の由来が、黒い玉砂利の浜「碁石浜」となっているそうです
碁石岬の先端は、北緯38度50分、東経141度44分!
碁石岬からの眺めは絶景
自然の美しさに思わず見とれてしまいました
大船渡市末崎町は、養殖わかめ発祥の地! 三陸沿岸に普及したわかめの養殖技術と塩蔵技術は 末崎町で生まれたそうです
こんなに自然豊かな大船渡市ですが、震災で海水浴場の海浜が消失してしまったり、 碁石浜も海浜の規模が縮小してしまったそうです。
海浜が小さくなってしまうほどの被害を受けた大船渡市。
陸前高田市では、壊れた建物がそのまま残っている場所も まだまだたくさんありました。
太平洋に面した三陸海岸の南よりに位置する陸前高田市。 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた様子が伝わってきます。
壊れた建物の周りには水が溜まって池のようになっていました。
道の駅「高田松原」
頑丈なコンクリートも破壊されています。
津波で約7万本と言われる高田松原もほとんどが流されてしまいましたが、 その中で唯一耐え残った「奇跡の一本松」を見てきました。
津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、 海水により深刻なダメージを受け、枯死が確認されたそうです。
復興のシンボルとして親しまれてきた一本松。 今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして 保存整備することに。「奇跡の一本松保存プロジェクト」です。
この奇跡の一本松へ向かうまでに、壊れた建物、水に浸かった建物、 建物が流され、何も無くなってしまった場所がたくさんありました。
約7万本もあったという高田松原。今の景色からでは想像がつきません。
その中でも奇跡的に残った一本松。
この日、この奇跡の一本松を見に来ている方がたくさんいらっしゃいました。 被災地からは遠くて離れていても、震災を忘れないようにと 思っている方もこんなにたくさんいるんだな、と、胸が熱くなりました。
被災地訪問で現地の方とお話しさせて頂いたりしますが、 「忘れないでほしい」という言葉も耳にします。
私達も震災で起きた出来事、そして、被災地訪問を通して見たこと、 感じたことを忘れずにいようと心から思います。
1日も早く、復興が進みますように!
がんばろう東北! がんばろう日本! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年07月26日 12時27分17秒
|