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★ダイレクト・トランスファー CD-R 2023年8月新譜 3点発売★発売予定:2023年8月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み)※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。78CDR-3914ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73ピエール・モントゥー指揮サン・フランシスコ交響楽団米 VICTOR 11-9237/401945年3月19日サン・フランシスコ録音ピエール・モントゥー(1875-1964)はフランス生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンと指揮法を学び、1906年コロンヌ管弦楽団を指揮して指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者をつとめ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」などの初演を指揮した。第一次世界大戦(1914-1918)でモントゥーは兵役に服したが1916年に除隊、アメリカに渡り、翌年からメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年から1953年までサンフランシスコ交響楽団の常任となり、同楽団の黄金時代を築いた。モントゥーはその後フリーになり1963年にロンドン交響楽団と共に来日した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。78CDR-3915モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595(カデンツァ:モーツァルト)アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)サー・ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団米 VICTOR 17053/56(英 HMV DB2249/52と同一録音)1934年5月2日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音今でこそ幾多の録音が存在するこの曲だが、1934年にウィーンでシュナーベルによって演奏されたのは、なんとモーツァルトがこの地で初演して以来の二度目の演奏会だったことはあまり知られていない。この曲の世界初録音。アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)生まれ。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリン・デビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1932年から1934年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。指揮者のサー・ジョン・バルビローリはロンドン生まれ。1916年ヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団に入りチェリストとして活躍を始めた。1925年室内管弦楽団を組織して指揮者に転向。1936年ニューヨーク・フィルの首席指揮者になった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。78CDR-3916グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16モウラ・リンパニー(ピアノ)シドニー・ビーア指揮ナショナル交響楽団英 DECCA AK1134/371945年5月14日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音モウラ・リンパニー(1916-2005)はイギリスのコーンウォール生まれの女流ピアニスト。幼少時にベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、リエージュで勉強を続けた。その後ロンドンの王立アカデミーでも学んだ。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に次いで 2位に入賞した。第2次世界大戦後はイギリスで最も名前の通ったピアニストになった。指揮者のシドニー・ビーアはナショナル交響楽団の創立者。このシリーズでチャイコフスキー交響曲第5番(78CDR-3158)が出ている。第2楽章のホルン・ソロはデニス・ブレインが吹いている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。