2001.3.24 国際親善試合 フランス 5 - 0 日 本
2001.3.24 フランス サンドニ ~ スタッド・ドゥ・フランス ~フランスGK ラメ DF カンデラ ルフフ(35分 シルベストル) デサイー リザラズ(80分 カランブー) MF ラムーシ ピレス(60分 ミクー) ジダン プティ(46分 ヴィエイラ) FW アンリ(53分 トレゼゲ) デュガリー(53分 ヴィルトール)日 本GK 楢崎 DF 森岡(69分 中澤) 松田 服部(78分 中田浩) MF 名波 稲本(69分 稲本) 伊東 中村(46分 三浦淳) 中田英 明神(46分 高原) FW 西澤(69分 城) フランス 5-0 日 本 ( 9分ジダン=PK, 13分アンリ, 55分ヴィルトール, 62分トレゼゲ, 68分トレゼゲ )“サンドニの悲劇” 大量5失点で世界王者に記念碑的大敗2000年、アジアカップを2大会ぶりに制し王者に返り咲いた日本は翌年のファーストゲームで3月、アウエーで世界チャンピオンのフランス代表と対戦。この試合はアジアタイトルを勝ち取ったチームを率いての母国フランスへの凱旋を果たしたトルシエ監督の存在もあって、地元でも注目を集めていた。合同のトレーニングの時間も満足に取れない中、中田英、西澤の欧州組も合流。Jリーグは開幕2試合を経過。この時期にチーム始動の最初の相手がフランスというのは、なかなかタフな面もあるが、厳しいワールドカップ予選がない分、そんなことは言ってられない。近年、意外にも日本とフランスは数多くの国際Aマッチを戦っている。90年代以降に限定とすると、2003年のコンフェデを入れて計5試合。これは欧州勢相手ではトップの対戦数である(ちなみに南米勢との対戦数トップはブラジルの計6試合=同じく90年代以降)。その5試合の対戦のうち、もっとも実力差が顕著に表れたのがこの試合。アジアと世界との差という簡単な言葉では片付けられないほど、日本の課題・弱点が山のようにさらけ出されることになる。フランス、怒涛のゲーム支配 中田英はハーフタイムに苦言連日降り続いた雨の影響でピッチは重くぬかるんでいたが、フランスがその悪条件を苦にしなかったのは、ホームチームの利ではなく、個人技術の高さであり、日本選手の球際の脆弱なプレーからなるものだった。2分、ピレスのミスからうまくCKを逃れたにもかかわらず、明神の判断が遅く、中田英に出されたパスは完全にタイミングがずれる。中盤を厚くして臨んだ3ボランチでは、稲本が早くもジダン、ピレスらを捕まえられなくなり、さらに左にデュガリーが張り気味になり、後方からリザラズがガンガン攻め込んでくるため、同じくボランチの伊東はそこに位置して食い止めるしかない。日本の選手は寄せてもすぐにかわされ、ボールに触れると即、激しくフィジカルコンタクトを見舞われる。90分通してである。7分、ハーフェイラインでラムーシがアンリへピンポイントでパスを送った時、松田と森岡は完全にマークを外してしまっていたが、シュートは左サイドネットに救われる。しかし9分、松田がピレスをペナルティーエリア内で手で倒してしまいPKを献上。これをジダンが決め、フランスがゴールラッシュの口火を切る。13分、左サイドでジダン、ピレスが名波、服部を難なく崩すと、一気にアンリへ。アンリは角度のない位置だったためか緩いシュートを打つに留まったが、これを楢崎がファンブル。ボールは脇の下をすり抜けてゴールラインを通過していった。2点リードしてもフランスはラインを下げない。両サイドのリザラズとカンデラこそ忠実な攻め上がりを見せるが、あとはスペースを見つけてはそこを起点に攻めるシンプルな攻撃で、まるでパスゲームのお手本のようだった。日本選手のほぼ全員が息を切らしたように青い表情を浮かべるなか、まったく無駄のない動きでフランスは日本を持て遊ぶ。球際で体を張り、投げ打ってもボールを奪えない相手というのは、アジアにはいない。日本の攻撃はデサイーを相手にするのに、西澤のワントップではあまりにも苦しすぎた。西澤にパスを出せるのは中田英ひとりしかいなく、2列目から飛び出すはずの選手は守備に追われるばかり。フランスの攻勢はさらに続き、20分、プティの左からのクロスにデュガリーが飛び込むが服部が辛うじてカバー、CKに逃れる。28分、ゴール前のジダンのFKからデュガリーがヘッドでフリーのアンリに繋ぐが、ワントラップで放った右足シュートはポスト右に外れる。しかしその直後、西澤がラムーシのパスミスを奪い、ドリブル。ルフフが詰めて流れたボールに中田英が狙いすました右足ミドル。完璧なコースに飛んだに見えたが惜しくも右ポストを叩く。結局この決定機を逃したのち、ロスタイムに服部→名波と繋いで左サイドを破った折り返しに、中田英が詰めた以外には、まるで見せ場をつくれず前半を終えた。ハーフタイムのロッカールームでは、あまりのディフェンスのまずさに中田英が森岡に「最初から2枚つけ。前を向かれたら行かれる」と苦言を呈する場面も見られた。重ね続ける失点 大崩壊した組織的守備西澤のワントップに限界を悟ったトルシエは、後半開始から明神を下げ高原を投入しツートップにシフト。さらに中村に代えて三浦淳を入れ、トップ下には中田英、右アウトサイドには伊東を置き、稲本、名波のダブルボランチとし、従来の形に戻した。一方フランスは、プティに代えてヴィエイラを投入。しかし始まってすぐピレス→アンリ、ジダン→アンリと2度も決定的なパスが通り、危険なシーンを作られる。CBの松田は明らかにラインをどう保てばいいのか戸惑っているようだった。51分、その松田の緩いディフェンスをアンリが突破、デュガリーへラストパスを通すも、シュートは楢崎がグッドセ-ブで凌ぐ。52分、中田英が中央から左へ流れるようなドリブルからデサイーが寄せる前に左足でシュート。この日2度目のゴールチャンスだったがラメが辛くも触って逃れる。53分、フランスは2トップを一度に交代。アンリ、デュガリーに代えてトレゼゲ、ヴィルトールの前年のEURO決勝のスコアラーを送り込む。そして55分、ジダンの右CKからシルベストルがヘッドで繋ぎ、それをさっそくヴィルトールがヘッドで合わせて3-0。さらにピレスをミクーを代えた直後の62分、デサイーから右サイドに出たボールにヴィルトールが、松田、服部の間へうまくパスを通し、そのラインへの飛び越しを狙っていたトレゼゲが楢崎を楽々かわしてシュートを決め4-0。68分、ジダンが左を快走するヴィルトールへ。そしてミクーへと渡ると森岡がコースを切る隙を与えず、走り込んだトレゼゲへ。稲本が戻るも間に合わず、またもゴールが決まる。5-0。この瞬間にトルシエ就任後、最多失点の不名誉な記録が更新されてしまった。トレゼゲの2ゴールはいすれもフラットなラインの弱点を突くもので、組織的なラインコントロールに頼りきった守備が紙一重で崩される危険度の高さの証明でもあった。試合に点差がつき完全に一方的なものになると、特に親善試合では交代ショーが始まるが、この試合でも例に漏れず、日本はその後、中澤、城、望月らを続々投入。もはやできるだけ多くの選手に経験を積ませるしかなかった。しかし中田英だけはこの日本チームの中にいて異彩を放つことのできた唯一の選手だった。75分、名波から出たボールを中央からデサイーの股の下を通す見事なシュート。またもラメの攻守で防がれるが、せめてこの日打った3本のミドルシュートのうち1発でも入っていてくれればと悔やまずにはいられなかった。結局最後の最後までフランスはまるで落ちなかった。リザラズに代わって入ったカランブーもスライドの長い動きで、必死に突破を試みる三浦淳を困らしては、フラット3を脅かすスルーパスを狙い続けた。フル出場したカンデラは、名波、伊東2人を相手にしてもまったく苦ではないアウトサイダーとしての能力の高さを後半も見せつけた。ベストメンバーの世界チャンピオンが相手だったとはいえ、0-5という惨敗は仮にも1国のナショナルチームが受けるには耐えがたい屈辱である。この結果を受け、トルシエは次のスペイン戦で超守備的布陣を試す決断をする。ワールドカップまであと1年と数ヶ月を残していたのがせめてもの救いだった。