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カテゴリ:Japan National Team

2000.9.14 豪・キャンベラ
 ~ ブルース・スタジアム ~


日 本 /Japan
GK 楢崎 DF 中澤 森岡 中田浩 MF 稲本 明神 酒井 中村 中田英 FW 高原 柳沢(79分 本山)

南アフリカ /South Africa
GK バロン DF モクーナ ブース F・マッカーシー  MF ヌテオ マトンボ(55分 フレデリスク) カンマイヤー バックリー(87分 ブーレ)  フォーチュン FW  B・マッカーシー  ノムベテ(87分 ヌレコ)



    日  本  2 - 1  南アフリカ
    (JPN) = 44分 高原、79分 高原
         (SAF)= 32分 ノムベテ


至上命令はメダル奪取 上昇ムードの中、日本6度目の五輪
あと一歩で1次リーグ突破を逃した前回のアトランタから4年後。シドニーの舞台へ駒を進めたU-23日本代表は、2年後の自国開催のW杯の骨格となるメンバーをフル代表も兼任するトルシエ監督が選抜。オーバーエイジ枠3人も楢崎、森岡、三浦淳とフルに活用し決戦に臨んだ(小野伸二のメンバー漏れはあったが)。
そしてグループリーグ突破のための壁として立ちはだかったのが、4年前とまたしても同組となったブラジル。奇跡的な勝利を挙げた前回と同様に「攻略可能」とはトルシエは考えなかった。「別格の相手」として捉えた上で、初戦の南アフリカ、2戦目のスロバキアへの絶対的勝利を突破の条件として掲げ、最終戦で当たる日本とブラジルがそれぞれ勝ち点6を保持したままの「消化試合」をプランニングしたわけである。もちろん南アフリカ、スロバキア双方にとってもブラジル戦は捨てる可能性は高い。よってこの組はブラジル以外の相手に勝ち点3を獲れなかった時点で敗退の2文字がちらつく3カ国のバトルでもあった。
そして当時のこの五輪代表は、黄金世代の79年組を擁し、99年のワールドユース準優勝メンバーを多数含む日本五輪サッカー史上最強チームと形容され、メダル獲得の期待は高まるばかりだった。

シドニー2.JPG
  

「打倒トルシエ」に闘志を燃やす南アに苦戦 中村は後方に埋没
98年のフランスワールドカップで南アフリカ代表を指揮したトルシエ監督にとって、初戦は因縁の相手でもあった。この南ア五輪チームの中にも過去指導した選手が何人かおり、そのほとんどは厳格でクレイジーな鬼トルシエに悪い思い出しかなく、あからさまに憎悪している者ばかりだった。
それが影響してとは言えないが、南アフリカはキックオフから闘志をむき出しにしてきた。球際は激しく、日本を速さと強さで圧倒。要警戒のB・マッカーシーが早くも日本のフラット3を寸断に追い込んでいく。左アウトサイドの中村はB・マッカーシー、マトンボのサイドへの進行をケアするためなかなか前を向けないばかりか、自陣ゴール前に半ば釘付けにされてしまった。フォーチュンに目を光らせたい稲本も立ち上がりは気負いが目立ち、動きに安定を欠いた。
11分、さらに18分と森岡が早目に潰したい意識からか、B・マッカーシーを連続して倒し警告を受ける。19分には右サイドで中澤がB・マッカーシーに振り切れられ折り返しを許し、ノムベテにあわやのシーンをつくられる。序盤はまさにB・マッカーシーの独壇場に近い展開となってしまった。前線の強さに明らかに日本とは差が出ていた。中田英にはマンマークこそついてはいないが、中央で連携しながらゾーンで厳しく対処され、高原、柳沢の2トップにはなかなかボールが配球されない。ようやく23分に柳沢が粘って高原に繋ぎ、左足ミドルを放ったがゴール左へと外れた。
30分を回る前後からようやく落ち着きを見せ始めた日本だったが、南アのスピードアッタカーのケアに奔走され中田浩、中澤は下がり気味でフラットの陣形は崩れたまま守備のバランスは悪く、中村が久々に上がって放り込んだクロスから柳沢→稲本と渡った決定機も決められない。悪いムードが続く中、32分にはついにB・マッカーシーの右クロス(中田浩はためらってとび込めず)から、ノムベテに先制ヘッドを許す。先に失点を喫して苦しくなった。
日本は相変わらず攻撃に移ったときの枚数が足らず、後方でボールを奪っても押し上げが遅く、ボランチの明神、右アウトサイドの酒井もディフェンス重視のポジショニングを崩せぬまま。南アはそうこうするうちに即座に守備固めに入ってしまう。また2メートル近い長身のCBブースが壁となって立ちはだかり、ゴール前は手が出せない状況だった。
それでも日本にはセットプレーという武器が残っていた。前半ロスタイム、左サイドで得たFKを中村が見事な精度のキックで高原の同点ヘッドを呼び込む。タイスコアに持ち込んで後半に臨めたのは何よりも大きかった。

シドニー3.JPG

高原、2G目で本領 初戦3ポイント奪取に成功

おそらく選手間の要望もあってだと思うが、酒井が後半から積極的に前を向き出した。その影響からか、バックリーに再三右サイドを狙われるようになる。48分のグランダーのクロスは森岡、中田浩の間をすり抜け、ノムベテにフリーで渡るが中村がかろうじてカバーに間に合いピンチを脱し、52分にも再びバックリー→ノムベテへの決定的なクロスもまたも中村が身を投げ出してブロック。中村の守備への貢献は素晴らしかったが、攻撃力の半減はどうしようもなかった。そんな中、明神が徐々に効き始め、ポジションを上げ効果的にボールを散らし、前半には無かったようなリズムを生み出して行った。
2点目を欲する両チームだったが、55分にマトンボを下げてフレデリスクを投入した南アに対し、トルシエは本山の投入のタイミングを計っていた。しかし「守備力が弱い」ことを理由に、ピッチ上の選手の「早くでてこい」という願いとは裏腹にまだ温存したままガマンの時間が続いた。次第に南アフリカはアグレッシブさが低減し、日本の守備ラインは安定感がグッと高まっていった。
75分、フォーチュンがワンツーのハイボールから一気に日本ゴールを急襲したがシュートは未遂に終わり、日本に流れが傾いていく。そして79分、待望の本山が柳沢に代わって登場した。
これにより大会前に試されたシステム、高原のワントップに中田英の1.5列目、中村がセンターへと移動し、本山が左アウトサイドへと入った。そして直後、この「ゴール獲り」のフォーメーションへと形を変えた日本が早々に目的を完遂する。中央でのパス交換から中田英が「スルーパスはこうやって出すんだ」と言わんばかりの完璧なボールを一直線に送る。高原はGKバロンとボールのスピードを冷静に見極めながらゴール左スミへと見事に流し込んだ。
負ければ1次リーグ突破の展望が立たなくなる南アは、ヌレコ、ブーレと相次いで投入し攻撃を急いだが、日本のゴール前はすでに磐石に固まっていた。本山も期待通り左サイドで動き回り、相手を混乱に追い込んでいき、稲本のスルーパスから2度のゴールのチャンスもつくった。結局提示されたロスタイム4分を上回る5分20秒経過したのち、日本は初戦を勝利でモノにしてみせた。
当初の目標を達成した日本だったが、森岡、中田英がこの日に受けたイエローカードが3戦目のブラジル戦に影響を与えることになる。しかもその試合はトルシエが望んだ「消化試合」ではないという誤算付き。理由は南アフリカが2戦目でブラジルを破る大番狂わせを起こすからである。



  








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Last updated  2006.10.22 16:17:02
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