受講生の問答です。
×××の旦那です。私 「やはり何はともあれ、自分は誰?という問いに戻りますね。この疑問から派生的にいろんな疑問が生まれて、答えを得て、そして原初の疑問の私は誰?に戻りますよ」お前は信じぬのだ。何を読み、いわれてもな。自分で見よう、確かめようとする心が強い。その心意気は天晴れよ。私 「体験を先にもってきたいんです、なるべく。頭で知ると観念的になりそうで、新鮮な体験を汚しそうで・・・」ふむ。それでよい。己が道を進めと言われる所以でもある。 自分で模索し、開拓せねばな。 一体、誰の人生であるのかということよ。 人と同じが好まれるは、寂しかったり、怖かったりであるからであろう? 全ての情報を絶ち、自らを信ずるは、これ自立の道であろう? 何を選択しどうするか全て己で決めねばなるまい。 孤独の道、孤高の道は大切ぞ。 人の歩んだ道をなぞるはたやすい。 確かにその者の後ろまではすぐに近づけよう。 が、その者を追い越すときがこよう。 そのときが己の道を歩む時よ。 己を甘やかす者はしゃがみこみ、歯を食いしばりて歩む者と大きな差を生む。 これからは自立の時代。お前の悩みは癒しが必要か?であろう?私 「笑・そうですね・・・」お前は1人でここまできたわけではあるまい。多くの者との関わりの中、磨かれてきたであろう?私 「そうですね」癒しとは多義的である、お前の考えであるな。これからは癒しとは自立ということになろう。違うか?私 「逆かと考えているんです。依存を生まないかと」癒し手の腕によるな。こと心理的なものを扱う場合は、傷つき打ちのめされた者がやってきて、お前を頼るであろう。 それをくるりとかわし自分自身に立ち返らせることができるか、否かになる。自らの力を取り戻す、取り戻させる。 甘い言葉ばかり謳うものもいるぞ。 それがそやつらの癒しか?ちゃんちゃらおかしいわな。 それではまた甘い蜜を吸いにくるぞ。 見極めが肝心よ。何が大事、大切で、何を与え、何を与えぬかな。 己が経験からものをいうなれば、尚のことお前が自立していることが肝要であろうな。以上です。最後のほうは眠くなりました。ごもっともとしかいいようがないです・・・。解説自分は何者か?誰でもぶちあたるテーマだと思います。人間とは生きるデータそのもの・・・・という話もあります。では。